第5回 粋に生き活きクラブの開催報告(平成26年8月)



第5回 粋に生き活きクラブの開催報告

うま味調味料(味の素)とアミノ酸
―壱グローバル食品企業の百年―

◇日時: 平成26年8月5日(火)18:00~20:45
◇会場: Peach green Café (本田社長経営)
◇住所: 横須賀市平作1-28 JR横須賀線衣笠駅から徒歩10分
◇演題: うま味調味料(味の素)とアミノ酸
     ―壱グローバル食品企業の百年―

◇話題提供者 : 個人会員 槌谷 祐一氏
◇参加者 : 法人会員 4社、 個人会員 14名

 第6回“粋に生き活きクラブ”は、会場をハイ測器本田社長のご厚意で、新装なった“Peach green Café”で開催された。

 阿部副理事長から話題提供者の紹介が行われ、今回は会場の都合で、まず講演を聞くことになった。そこでDVDで「ドイツ留学から帰った池田菊苗博士が湯豆腐の昆布だしのうま味をグルタミン酸ソーダであることを発見し、小麦グルテンから塩酸による加水分解で、グルタミン酸ソーダ製造法の特許を1908年(明治41年)に取得したことから始まった。池田博士は国民の栄養状態を改善したいとの志で、鈴木製薬所経営の鈴木三郎助に持ち掛け、鈴木は事業化することになり、1909年(明治42年)日本の三大発明の一つである“味の素”の歴史が始まった。」を見たのち、下記内容で講演が行われた。
   
   1) 味の素製造法の変遷と会社存亡の危機
   2) MSG(味の素)の安全性とグルタミン酸の機能
   3) 事業多角化とグローバル食品企業の位置
   4) 今後


1) 味の素製造法の変遷と会社存亡の危機

 明治末期は文明開化の進行中で多くの西洋の先進技術が導入されている時代で国産技術に目もくれられぬ時代であったが、鈴木三郎助は将来性を危惧しつつも、事業化を決心した。製造法は、池田博士の特許に従った方法であった。製造に当たっての難題は蛋白分解に用いる塩酸の取り扱いであった。塩酸は揮発性があり、製造時設備の塩酸による腐食が問題で結局道明寺甕が有用であった。それとても使用できるのは2ケ月ぐらいであった。

第5回経営研究懇談会 講演

講演する槌谷氏


 製造開始時は予想に反し、さっぱり売れなかった。そこで新聞広告やチンドン屋、電光広告、宙吊り広告等思いつくあらゆる方法を試みた。特にチンドン屋による広告は日本全国を巡ったそうである。広告の効果が表れ、徐々に売れ始めた*1)。発売開始の翌年、1910年には当時日本の植民地になっていた台湾・朝鮮にも販路を拡大した。その後中国、1917年には米国、ニューヨーク事務所を開設した。早くから海外にも目を向けていた三郎助は先見の明のある事業家といえよう。
 月産数トン規模になると、起業した逗子の工場では、手狭となり、また近隣から塩酸ガス等の被害の苦情がたえなかった。そこで新たな工場用地を求め、多摩川のほとりに新工場を建設した。技術担当は三郎助の弟、鈴木忠治が当たった。新工場の建設は、ガスの発生しない硫酸法で設計した。いざ運転を始めると、ラボ実験では、順調に製造できた味の素は、新工場では歩留まりが低く、またうま味が薄い代物であった。忠治は大金を投じた新工場で味の素を予定通り、生産できないことに驚くとともに、責任を感じて一時は死にたいと思ったほど落ち込んだ。急遽また逗子の工場に戻り、塩酸分解は逗子工場で、精製工程は川崎でとしばらく操業せざるを得なかった。原因は小規模では問題にならなかった硫酸分解での熱発生によるラセミ化と硫酸除去に使った石膏の生成でCaSO4に巻き込まれによるロスであった。当時スケール・アップではしばしば製造条件の要因が変化することの認識がなかった為である。第一の危機であった。
 その後販売も順調に伸び始めたころ、1923年(大正13年)関東大震災が発生し、工場は全壊した。その後、第二次世界大戦、終戦、戦後と幾度かの危機を乗り越え、高度成長の始まりの頃、第2の会社存亡の危機が発生した。当時次の製法として、発酵法と合成法の研究開発真っ盛りの頃である。強力なコンペチターの出現である。K社が糖蜜から一段法でグルタミン酸発酵法の研究を完成し、特許を取得した。コスト試算すると、原料は2割程度、設備投資は大幅に少なく、原価は4割近く安価に製造できそうである。研究陣は昼夜を分かたず、追いつき追い越せの開発研究が行われた。13年間の研究開発の末、四日市にまず合成法による工場を1963年(昭和38年)に完成し、操業を始めた。合成法ではD,L―のラセミ体のグルタミン酸が得られるので、光学分割が必要で世界で初めて、月産1000トン規模での光学分割を工業化した。当時はもっとも安価な製造法であった。程なく直接発酵法の技術も完成し、合成チーム、発酵チームで社内でコスト競争をしながら、第2の危機を乗り越えて行くことになる。*1) なお、合成法は設備更新時期にはその役割を終了した。


2) MSG(味の素)の安全性とグルタミン酸の機能

 1966年(昭和48年)高度成長が始まった時期は公害問題で、企業が批判にさらされており、カネミ油症事件やチクロの発癌性が問題にされて食品の安全性に疑念がもたれ始めていた頃であった。米国のオルニー博士が動物実験で生後間もないマウスにMSG(グルタミン酸ソーダ)を過剰投与し、神経細胞の壊死を伴う脳障害が起こることを発表した。米国FDA(厚生省)はMSGのベビー・フードへの使用禁止勧告を行った。味の素は安全な食品ではないとのイメージが世間に広がり、売り上げは減少し始めた。第3の危機の勃発である。すぐさま生物科学研究部を設置して、動物によるMSGの安全性評価を始めた。1977年に至り、FDA(米国厚生省)の公聴会でMSGの安全性は証明された。今では塩よりも安全で、食品添加物としてGRAS(generally as safe)リストに収載され、一日許容量・摂取量は特定しないとされている。
 グルタミン酸ソーダは5つの基本味の一つである「うま味」を示すが、味蕾細胞にグルタミン酸受容体が存在することが、証明されている。また最近胃の粘膜の細胞にもグルタミン酸の受容体が存在することが分かった。食物を摂取すると、味蕾細胞でうま味を感じて信号が脳に伝えられ、食欲が促進される。さらに胃に到達すると、グルタミン酸が受容体に捕捉され、蛋白質の信号として、胃酸と消化酵素の分泌が促進されることが分かった。
 味の素のスローガン“美味しく食べて、健康づくり”“Eat well、Live well“を期せずして、グルタミン酸が機能として持っていることが科学的にも証明されたと言えよう*2)


3) 事業の多角化とグローバル食品企業のポジション

 MSGの原料を小麦グルテンから脱脂大豆に転換するに際し、大豆を購入し、油脂を採取したのち、脱脂大豆を得るところから自社製造することになり、油脂事業に進出した。一方脱脂大豆の塩酸分解ではグルタミン酸のほかにも多種類のアミノ酸が含まれている。当初はアミノ酸分解液から分離して各種アミノ酸製造を行っていた。その後、糖源を出発原料にして直接の発酵法で得られる製造法が開発され、各種アミノ酸の多方面への利用開発が進展した。
 食品事業への本格的な多角化の第一歩は、1961年のケロッグ社とのコーンフレークの販売である。1963年にはコーンプロダクト社との提携でインスタント・スープ事業を開始した。1968年マヨネーズ、1970年マーガリン、1972年冷凍食品販売、1973年ゼネラルフーズ社との合弁事業でインスタント・コーヒーと食品事業を次々に拡大した。
 一方自社の技術開発で多角化を図ることになる事業には、甘味料がある。甘味料:アスパルテームはアミノ酸であるアスパラギン酸とフェニルアラニンメチルエステルをペプチド結合したもので、四日市で始めたMSGの合成法開発技術・人材育成が生かされた事業と言える。またMSGの安全性に疑念が持たれたオルニー事件は当時は災いであったが、それを機会に動物での安全性評価技術を習得し、これはその後の医薬品開発や化成品開発評価に大いに役立ち、医薬品や化成品事業の多角化に寄与した。災い転じて福となった例と言える。
 現在、グルタミン酸ソーダは調味料・食品添加物として、世界各国で生産され世界の総生産量は250万~300万トンと推定されている。需要の70%は中国で、他はアジア、南米、西欧各国にまたがる。中国の生産者が70%のシェアーを持ち、味の素グループは30%程度のシェアーである。味の素グループは現在21ケ国で120工場を操業し、MSGのほか、複合調味料、アミノ酸、飼料、甘味料、化成品、香粧品、医薬原料等多方面での事業を展開している。
 最後に、グローバル食品企業として味の素グループのポジションを調べてみる。グローバル企業として50社を取り上げ5期の平均として、営業利益率と海外営業利益%を調べてみると、欧州系企業は平均17%と40~70%、米国系企業は平均12%と10~60%、一方日本企業は平均4%と5~30%で営業利益率、海外利益%とも顕著な差がある。味の素グループは売上利益率6%、海外利益33%と、国内では海外利益%は一番で、売り上げ利益率では、キリングループ、サントリーに次ぐ順位であり、国内ではグローバル化の進んだ企業といえよう。


4) 今後

 日本三大発明の一つである“味の素”発展の歴史100年を概観した。長い歴史を持つ企業はどこも紆余曲折しながら何度か会社存亡の危機を乗り越え成長した歴史を持つと言えよう。味の素の場合も何度かの会社存亡の危機を“チャレンジ精神と叡智の結集”で乗り越え今日がある。今後の100年に向けて、味の素は創業時の“うま味”を通じた国民の栄養の改善を目指した志を受け継ぎ、アミノ酸の技術を軸にして「地球の持続性」「食資源の確保」「健康な生活」という人類の課題の解決に事業を通じ貢献する企業を目指すとのことである。


粋に生き活きに懇親会

 講演終了後、ビールで乾杯し、シャンパン、ワインが登場し、暑さを吹き飛ばす宴が始まった。
途中で、本田社長の家族の皆様やホームページ作成などでお世話になっている当会協力会員の野木村さんの紹介が行われた。エピソードとして、味の素卓上瓶の穴の大きさについて、穴を大きくしたのは湯気によるつまり防止として提案されたもので、結果として売上増大にも寄与したとのことである。その提案者は最近入会された妻鹿氏の姉上様が味の素勤務時代に考案し、社内表彰を受けたとの逸話が紹介された。宴たけなわの頃、木下理事長が立ち上がり、合唱団メンバーが4名揃い(岩岡氏・立林氏・妻鹿氏)特別出演で二曲披露された。特に理事長の溌剌とした姿が印象に残る。また、宮崎社長も若々しい独吟を披露された。

第五回経営研究懇談会 自己紹介

自己紹介する本田社長と娘さん


第5回経営研究懇談会 合唱

熱唱する男性合唱有志


第5回粋に生き活きクラブ 独吟

張りのある声で詩を吟ずる宮崎社長


第5回粋に生き活きクラブ 懇親風景

何をしているのだろうか竹馬の友


参考文献

  1. 「挑戦者の系譜」味の素株式会社発行、2009年5月、及び味の素:ホームページ
  2. 「英国人一家ますます日本を食べ尽す」マイケル・ブース、寺西信子訳、2014年5月発行、亜紀書房
    MSG:味の素の安全性及びその機能について良くまとめられている。
  3. 「世界市場を目指す食品企業」三井物産戦略研究所資料2013.5.22
(槌谷記)

  


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