金沢まつり2013 見て歩きの記
金沢というと、鎌倉が浮かび、金沢文庫に行き着く。私の歴史感覚によるのであろう。続いて、ひととき熱中した詩吟で習い覚えた金沢八景の漢詩。八景を詠むのは、さまざまの自然鑑賞の方法の一つだと云われる。そして、ここに晩鐘で名を馳せた称名寺が出てくる。
称名寺は、退職してから妻とハイキングがてらに訪れたのが最初だった。台風一過の翌日という幸運か?、裏山で栗拾いをして、「大都市横浜での栗拾い」ということで大層感激したのを覚えている。
八景島は何度か訪れている。しかし、八景島が独り歩きして金沢という地名となかなか結びつかない。
それから、最近になって知ったことがある。金沢の「お年魂」の話である。吉田兼好の『徒然草』に載っている。兼好が金沢に長期滞在した折の記事で、京ではすでに失われてしまった「お年魂(祖先神が新年早々にやってきて一年分の余命を授けてくれるのだという)」の祭祀行事が残されていたのだという。印象に残り、その年のアンカーとして記したようである。
探鶯をすると容易にわかることであるが、鶯には謎が多い。この記事はその謎の一つを解いてくれたのである。鶯は、旧暦では新年を告げる鳥であり、めでたい鳥でもあることは、平安時代の著名な辞書『新撰字鏡』が記すところである。しかし、鶯が新年に到来するからという理由しか思いつかなかったのであるが、鶯が鳴くのは祖先神が到着したことを告げているのであり、居合わせた家族は、余命が1年延びるので目出度いのだと、推測できるのである。このお年魂の祭祀から、その起源が信仰や生命に関わっていることが解るのである。
前置きが少し長くなったが、要はそういうことが金沢の印象として強く残っているのである。金沢まつりは、「いきいきフェスタ2013」。お年魂の影が忍び込んでいるようにも思える。それに、当研究会の「粋に生き活きクラブ」。ますます因縁めいてくるのである。
横須賀中央で京浜急行の特別快速に乗って、金沢文庫で降りた。金沢八景で停車したのは知っていたが、通過したのである。降りてあたりを見廻すと、何か様子がおかしい。「シーサイドラインに乗りたいのだが・・・」と駅員に尋ねると、「一つ手前の駅ですよ」との返事。どうも、八景より文庫に惹かれるのは、歴史観のなせる業なのかもしれない?
高架のシーサイドラインは、周囲の景観を楽しめる。もう一つ先でもよかったのだが、「海の公園 南口」駅で降りた。海の公園の敷地に入ったが、案内板が見つからない。急がば回れとばかりに、「トイレ」を回って松林の中の舗装道路に出ると、係員らしい服装の人に出会う。「76番に行きたいのだが・・・・・」と訊ねると、「まっすぐ進むと番号が増えますから」と、数学的には極めて明快な回答。混雑する一本道を久し振りに頼りなく歩いていると、「迷い子受付」の看板はすぐに目に飛び込んだのであるが、目当ての看板はなかなか見つからない。
番号の数に比例するほど歩いたのであろうか、ようやく76番が見つかった。近づいてみると、人は十分そうだ。手伝うなどという殊勝な気を起こすと、邪魔だと追い払われかねない。そう考えて、祭りの見学に出発。松林の中の舗装道路を、さらに番号の増える方向へと歩いて行く。しばらく歩くと、大分寂れた一角に大学の出展があったが、番人もいない不用心さ。産官学連携支援の気概を起こし、2,3の資料を選んでいただいた。袋を探したが見つからないので、そのまま無造作に抱きかかえ、近辺の2,3の出展を見学してから引き返す。
頃は12時過ぎ。空腹で行き倒れにでもなると迷惑をかけることになる。腹ごしらえをしようと思い、あたりを見廻すと、近くに「ふとっちょやきそば」という風変わりなメニューの出店が目に入った。長い列ができているが並んだ。私の前に割り込んだ女性が、途中で気が付いたのか、そっと後方に移動する光景などを見遣っているうちに待ち行列も短くなり、購入してから松林と浜辺の間の芝生に腰を下ろして、「ふとっちょやきそば」を賞味する。場所とタイミングが良かったことも手伝って、看板に偽りなく?、なかなかの美味。口も腹も至極ご満悦に。その余勢をかって浜辺を散歩する。コンクリートとは異なり、砂浜の感触もゆっくり歩くと気持ちがよい。海際まで往復を楽しむ。
再び、松林の中の舗装道路に戻り、歩む。賑やかになり始めたあたりに、当会の出展があった。近寄ると、「食事が用意されているよ」と親切に声がかかる。「食べてきたので満腹だよ」と言って、再び腹減らしの見学に、番号の減る方向を目指して出発。
1番かどうかは確認できなかったが、もう一方の端らしき場所に到達したので反転し、しばらく歩いて、「いきいきフェスタ2013」の看板をかけたダンス広場を覗くと、若者たちが元気に踊っている。確かにいきいきしている。そして、その中に手足の先まで細やかに動かし巧みなダンスをする女の子を見つけ、年甲斐もなく、しばらく釘付けになる。細やかでダイナミック―――本当に圧倒された。まるで、ダンスの元祖、天の鈿女を見ているようだ。どのくらい釘付けになっていたのかは定かでない。
その場を立ち去ったのは、彼女たちが退場したあとだったことだけは確かである。
松林の中には草原が広がる。秋草なので噛みはしなかったが、しっかりと踏みしめ、その感触を楽しみながら歩む。やがて、当会の出展の裏側に到着したので表へ。そこには、ソーラー玩具を見て楽しんでいる母親と子供のペアがいた。生憎の曇り空に、ソーラー玩具の動力は電球。
見学者は、子供が中心ながら、母親だけ,母親と祖母,両親など、いろいろな組み合わせの付き添い人たち。入れ替わり立ち代わりにやって来る。電球で動くところに興味を示すらしく、動き出すと、子供よりも笑む親の顔が愛らしい。
カエルは人気があるが、感度が悪く、なかなか動き出さない。考えてみると、青ガエルは春の動物。無理をさせるほうが悪い。そこへ行くと、バッタと寒空にも拘わらず扇風機はよく動く。
購入の風景も面白い。子供の催促にあっさりと金を出す親もいれば、首を振らずにじっと見ていて立ち去る親、財布を開けてから再び閉めて立ち去る親等、親のしぐさを見るのもまた一興。しかし、自分もそんな好奇の対象になった時期があったのかと思わず苦笑。
風変わりな遊びをしばらく続けているうちに、祭りの終了の時間が近づく。片付けの作業で、各ブースの動きがにわかに慌しくなった。
当会の出展は、大倉物産の協賛のもとではあったが、いろいろな人の好意もあり、成功であったという。このような形態の出展は初めてのことであるが、今後のモデルケースになるのであろう。
それにつけても、大倉物産の社長の元気さには、驚くとともに頭が下がる。朝からほとんど立ち通しのようで、終われば、荷物を積んだ車を運転して会社に帰って行く。このバイタリティはどこから出てくるのか? こういう人が一人ふたりおられると、周りの人たちは自然に動き出す。
町内会の会長をしていたとき、80歳を超えている班長兼役員が2人ほどいた。私の意図を察してくれたのか、その人なりの動きをしてくれた。感謝するとともに、周囲への手本になるので心強く思ったことがあった。年寄りは無理をする必要はないが、だからと言って甘えは周りの雰囲気を壊す。だからの甘えはほどほどにする必要があると思われる。それが延いては自分の健康維持にも役立つ。