季節
神無月
個人会員 奧谷 出
神無月とは
神無月は、かみなづき、かんなづき、かみなしづき、かみなかりづきなどと発音され、日本における旧暦10月の異称。新暦では11月の異称。しかし、10月の異称としても用いられる場合も多い(神無月 – Wikipedia)。
神無月の由来 その1
神無月に全国の神々が出雲に集まるという伝承は、平安時代末の「奥義抄(おうぎしょう)」以来さまざまな資料に記されている。神々は出雲大社や佐太神社などに集まり、酒造りや縁結びについて合議されると、民間伝承では伝えられている。
神々が出雲に集まる理由として、大国主大神が天照大神に「国譲り」をされたとき、「私の治めているこの現世(うつしよ)の政事(まつりごと)は、皇孫(すめみま)あなたがお治めください。これからは、私は隠退して幽(かく)れたる神事を治めましょう」と申された記録がある。
この「幽れたる神事」とは、目には見えない縁を結ぶことであり、それを治めるということはその「幽れたる神事」について全国から神々をお迎えして会議をなさるのだという信仰が生まれたと考えられる。(神在月|出雲観光ガイド【出神在月|出雲観光ガイド【出雲観光協会公式ホームページ】)。
「全国の神々が出雲に集まるという伝承は、各地には神がいなくなるので神無月と呼ばれ、出雲国には多くの神々がいるのでその月は神在月と呼ばれることになる。
神無月の由来 その2
神々が出雲に集まる理由として別の理由がある。「神々は、母神であるイザナミが亡くなった10月に、その葬地である出雲に集い、母神への追慕を行う」という伝承である。
戦国時代(15世紀末)に佐太神社(松江市鹿島町)で記された『佐陀大社縁起』という書物で、その要点をまとめると、①佐太神社の祭神は諸神の父母、イザナキ・イザナミである。②親神への「孝行の義」を示すため、神々は佐太神社に集う。③神在月が10月なのは、イザナキが崩御した十月十七日に合わせて神々が集うからである。④亡くなったイザナキは垂見山(佐太神社背後の現・三笠山を指すか)に葬られた、というもの。
③では亡くなったのがイザナキ(父神)とされているが、これが江戸時代初めには母神であるイザナミへと置き換わる。イザナミが火の神を産んで亡くなったという、『記紀神話』を基にした神道説との整合が図られたようである。そして、④の埋葬地に関しては『古事記』でイザナミの葬地とされた比婆山と、出雲の山を重ね合わせる解釈が広まり、佐太神社だけでなく神魂神社や熊野大社でもそれぞれに「母神イザナミの葬地」に由来する神在祭が行われた。こうして、「十月はイザナミが亡くなった月であり、神々が母を慕って出雲に集うので神無月という」という解釈が京都でも広く知られるようになった。(第2話 母を慕って出雲に集う神々 | 島根県古代文化センター)
神在月の起源
『権記《ごんき》』と呼ばれる平安貴族の日記の長徳元(995)年10月6日の記事によると、出雲国が「熊野(松江市熊野大社)・杵築(出雲市出雲大社)両神の祭があるため、国内の政務を停止しており、犯罪者の裁判ができない」と報告してきている。古代における公的な神祭り(神祇祭祀《じんぎさいし》)については、当時の法律(神祇令)に実施する月が定められているが、10月には神祭りはない。これらのことから、全国でも出雲国の熊野・出雲大社のみが10月に何か重要な祭礼を行っていたのではないか、という推測がなされている(田中卓氏説)。
しかし、奈良時代に出雲国から出された公文書の日付を見ると、10月に出されたものが数多く見られるが、奈良時代には、まるまる一ヶ月のあいだ政務を停止したとは思われない。
まだわからないことが多いが、平安時代になると、熊野・出雲大社の10月の神祭りが重要視されるようになり、このことが神在月の考え方が生まれる背景になった可能性は十分想定される、といわれる。
(第1話 神在月の起源 | 島根県古代文化センター)。
「神の留守」を守る神
神無月には、全国の多くの国々で神がいなくなるので、「留主(るす)の間に荒れたる神の落葉哉 芭蕉『小文庫』」で知られる「神の留守」や「冬の旅」などの季語がある。しかし、主がいなくなった神社を地元の人が留守番をする風習が伝わる地域もあるが、全国各地には出雲へ行かずに留守番をする「留守神《るすがみ》」が存在する(第3話 「神の留守」を守る神 | 島根県古代文化センター)。
出雲に行くのは大国主神系の国津神だけであるという説や、天照大神を始めとする天津神も出雲に行くという説もあり、この考えと一致するような、「出雲に出向きはするが、対馬の天照神社の天照大神は、神無月に出雲に参集する諸神の最後に参上し、最初に退出する」という伝承がある。
諏訪明神
伝承によれば、諏訪大社の祭神の諏訪明神が龍(蛇)の姿を取り出雲へ行ったが、あまりにも巨大であったためそれに驚いた出雲に集まった神々が、気遣って「諏訪明神に限っては、出雲にわざわざ出向かずとも良い」ということになり、神無月にも諏訪大社に神がいることから神在月とされる。
鍵取明神
能登では、10月に神々が出雲に集っている間にも、宝達志水町の志乎神社の神だけはこの地にとどまり能登を守護するという。そのためこの神社は「鍵取明神」と呼ばれる。なお、志乎神社は素盞嗚尊・大国主命・建御名方神を祭神とするが、能登にとどまるのは建御名方神である。
その他の留守神
伝承で神無月には家に祀られている荒神も含めて出雲に旅立つとする地域がある(東京都世田谷区など)。留守神には荒神や恵比須神が宛てられることが多く、10月に恵比須神を祀る恵比須講を行う地方もある。山口県相島では竈の神様である荒神を留守神としている。群馬県大泉町では荒神と恵比須神を留守神としており、伝承では荒神は子が多く連れていけないため留守番をしているという。
群馬県大胡町では荒神には子が多いため出雲には行かないという伝承があり留守神となっている。福島県石城地域では荒神には眷族(けんぞく)が多いため遠慮して出かけないという伝承があり留守神となっている。
江戸時代、地震は地中の大鯰(おおなまず)が動くことが原因と考えられていたが、鹿島神宮では安政の大地震が10月に起きたことから、要石で大鯰を押さえつけていた祭神の鹿島大明神が不在で、さらに留守番をしていた恵比須神が居眠りをしたために起きたという伝承があり鯰絵にも描かれている。(神無月 – Wikipedia)