季節:十五夜

季節

十五夜

十五夜とは

 十五夜は陰暦8月15日の月見行事。陰暦の秋は7~9月で、8月15日は秋の中日を指すので中秋の名月ともいわれる。陽暦では、十五夜は9月から10月になる。
 ややこしいことには、仲秋の名月という言葉がある。秋の三月を初秋、仲秋、晩秋といい、仲秋の月を仲秋の名月というのである(月見 – Wikipedia)。
 秋は夏に比べ大気中の水蒸気が少なく、すっきりした月が見え、美しいといわれる。春は美しい月というより霞のかかった朧月。冬は観月の時期ではない。

十五夜と満月

 旧暦を含む太陰太陽暦では、月が新月になる日を月の始まりと考え、各月の1日とし、それから翌日を2日、その次の日を3日と数える。そして、次の新月の日がやってくると、それを次の月の1日とした。
 旧暦の暦は、新月から新月までの日数の平均を29.5日とし、12ヶ月を考慮すると、29.5日×12=354日となる。新暦(陽暦)との差が365―354=11日となり、これでは季節がずれてしまうので、2~3年に一度、ある月の後に閏月を設けて調整する。閏4月などとする。
 旧暦の十五夜は8月15日で、新暦(陽暦)の9月から10月になる。閏月のある年は10月になる。
「旧暦」ってなに? | 国立天文台(NAOJ))。

 月の満ち欠けの周期は、一定ではなく、必ずしも満月、すなわち月と太陽が地球を挟んで反対側に来る瞬間が同じ日になるとは限らない。
 月の満ち欠け周期の半分は29.5÷2≒14.8日ですから、陰暦15日は満月が後になることが多い。両者がずれる原因は2つある。
 ひとつ目は日の区切り方による見かけ上の問題、ふたつ目は本質的な要因で、満月の月齢が変化するためである。満月の月齢=朔(新月)から望(満月)までの経過日数は13.9日~15.6日と大きく変化する。
暦Wiki/中秋の名月とは/名月必ずしも満月ならず – 国立天文台暦計算室 (nao.ac.jp))。

 因みに、2021年から2030年までの十五夜と満月の関係を記すと下表のようになる。この中で、2021年~2023年、2028年~2029年は十五夜と満月が一致する。

十五夜(名月)満月備考
2021年9月21日9月21日08時55分早朝の満月。
2022年9月10日9月10日18時59分十五夜と満月の日は一致。
2023年9月29日9月29日18時58分十五夜と満月の日は一致。
2024年9月17日9月18日11時34分
2025年10月06日10月07日12時48分閏月のある年
2026年9月25日9月27日01時49分
2027年9月15日9月16日08時03分
2028年10月03日10月04日01時25分閏月のある年
2029年9月22日9月23日01時29分日づれはあるが、同夜である。
2030年9月12日9月12日06時18分早朝の満月で、一般には前夜と捉えるべき?
十五夜と満月((暦Wiki/中秋の名月とは/名月必ずしも満月ならず – 国立天文台暦計算室 (nao.ac.jp)))

十五夜の歴史

 月見の行事は古くから散見されるが、中国では唐代(618年-907年)の頃から中秋節が盛んになり、次の時代の宋代に定着したといわれる。宋代の『東京夢華録』(1147年(紹興17)の序)では身分に関わらず街を挙げて夜通し騒ぐ様子が記されている。明代(1368年-1644年)の中国では、宴会に加えて名月の日に供え物や月餅を贈り合う習慣が始まった、と田汝成の『煕朝楽事』に記録がある(月見 – Wikipedia)。

 中国の習慣は平安時代の日本の貴族社会に伝わった。文献上、島田忠臣『田氏家集』に貞観元年(859年)に十五夜の宴を開いたことが記されている。なお、島田忠臣は、菅原道真の師匠であり、その娘は伴侶である。
 中国から十五夜の祭事が伝わると、平安時代から貴族などの間で観月の宴や、舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)で歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだといわれる(中秋節 – Wikipedia)。
 室町時代になると、宴としては簡素になり、その後期は名月の日に月を拝んで供物を供える風習が生じた。世俗の習俗は宮中にも及び、16世紀なかばの『年中恒例記』には。天皇がナスを食べ、枝豆・柿・栗・瓜・ナス・芋・粥などを供えたことが記されている。『御湯殿上日記』には、後陽成天皇がナスに開けた穴から月を見て祈る祝儀「名月の祝」の様子が記されている。『後水尾院当時年中行事』にもナスの穴を覗いて願をかけることが記されている(月見 – Wikipedia)。
 団子を供えることも中国の風習にならったものだが、江戸時代に普及した(月見 – Wikipedia)。

供え物

 十五夜にはススキや団子、旬の収穫物などを供える。十五夜を芋名月と称するが、ちょうどサトイモの収穫期にあたるためで、特に西日本・京阪地方では広くサトイモを供えることが多い。サトイモの収穫祭としての性格を強く帯びているものと考えることができる(月見 – Wikipedia)。
 これらの供え物を盗んでもよいとする風習が各地にある。小生も子供の頃、供え物を盗み歩くのを楽しみにしていた。夜、公会堂に集合し卓球をしてしばらく過ごす。時間が来ると、目ぼしい家を訪ね歩いて供え物を取得し公会堂に持ち寄って味覚を楽しむ。しかし、盗みの習慣が良くないとされて廃止に追いやられたところが多いようである(月見 – Wikipedia)。

十三夜とは

 十三夜は、陰暦9月13日の月見の行事である。満月の少し前の月を楽しむ風習といわれる。日本独自の風習で、文献上では藤原宗忠『中右記』の長承4年(1135年)に九月十三夜を名月とすることが見え、宇多法皇を起源としている。
 十五夜を芋名月とするのに対し、ちょうど食べ頃の大豆(枝豆)や栗などを供えることから、十三夜は豆名月(まめめいげつ)または栗名月(くりめいげつ)という(月見 – Wikipedia)。

片月見

 「十五夜、十三夜のどちらか片方の月見しかしないのは片月見(片見月)と言い、2回お月見をしないと縁起が悪い」、「だから十三夜にも必ず来てね」などと、江戸の遊女は言葉巧みに客を誘ったという。なお、片月見の縁起が悪いというのは遊女のみであったという(月見 – Wikipedia)。


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