時候:冬の鳥 鷦鷯(ミソサザイ) 

時候

冬の鳥 鷦鷯(ミソサザイ)

ミソサザイとは

冬の鳥  鷦鷯(ミソサザイ) 
冬の鳥  鷦鷯(ミソサザイ) 
(『ウィキペディア』より引用)

 スズメ目ミソサザイ科ミソサザイ属に分類される鳥類の1種。日本では留鳥として、大隅諸島以北に周年生息している。亜高山帯や高山帯で繁殖するとされているが、亜高山帯には属さない宮崎県の御池野鳥の森では繁殖期にも観察されている。
 一部の個体は、秋から春先にかけては低山帯や平地に降りて越冬する。このような生態の鳥を漂鳥(ひょうちょう)という。
 全長が約11 cm、翼開長が約16 cm。体重7-13g。姿は小さな鳥であるが、さえずりの声が大きい鳥として知られている。(ミソサザイ – Wikipedia)。

名前の由来

 和名のサザイは、古くは「小さい鳥」を指す「さざき」が転じたもの。また溝(谷側)の些細の鳥が訛ってミソサザイと呼ばれるようになったとする説がある。  (島根県の美保関町のあたりには鷦鷯(ささき)という苗字がある)。(ミソサザイ – Wikipedia)。
 平安時代の『和名抄』に、「鷦鷯 文選鷦鷯賦に云はく、鷦鷯〈焦遼(しょうりょう)二音、佐々岐(さざき)は小鳥也。蒿萊(こうらい、よもぎ・あかざを指す)の間に生れ、藩籬(はんり)の下に長ずといふ」(倭名類聚鈔 20巻. [9] – 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp))、とある。
 藩籬とは、囲い、保衛。特に、王家を守護するもの(『日本国語大辞典』)。すなわち、『文選』鷦鷯賦によると、ミソサザイは王家を守護する囲いの下で成長する、と記されている。

名前の交換説話

 ミソサザイは記紀に登場する。仁徳天皇には大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)という名前があるが、『日本書紀』の仁徳紀元年正月の条に、誉田天皇(ほむたのすめらみこと)の息子と大臣(おおおみ)武内宿禰(たけしうちのすくね)の息子の名前との交換説話がある。

 初め天皇(すめらみこと、仁徳天皇)の生(あ)れます日に、木菟(つく、みみずくのこと)、産殿(うぶとの)に飛び入れり。明旦(くるつあした、翌朝のこと)、誉田天皇、大臣(おほおみ)武内宿禰を喚(め)して語りて曰はく、「是、何の瑞(みつ)ぞ」とのたまふ。大臣答えて曰はく、「吉なり祥なり。また昨日、臣(やつかれ)の妻(め)が産(う)む時に、鷦鷯(さざき)産屋に飛び入れり。これまた異(あや)し」と曰(まを)す。このとき天皇曰はく、「朕(わ)が子と大臣の子と、同じ日に共に産れたり。並びに瑞有り。これ天(あま)つ表(しるし)なり。思うに、其の鳥の名を取りて、各(おのもおのも)相替えて子に名付けて、後葉(のちのよ)の契(しるし)とせむ」とのたまふ。則ち鷦鷯の名を取りて太子(みこ)に名付け、大鷦鷯皇子(おほさざきのみこ)と曰(まを)し、木菟の名を取りて大臣の子に名付け、木菟宿禰(つくのすくね)と曰ふ。是、平群臣(へぐりのおみ)が始祖(はじめのおや)なり(木菟(=ミミズク)が産殿に飛び込む (nihonsinwa.com))。

ということで、仁徳天皇は大鷦鷯尊という名前になったといわれる。
 このような名前の交換説話は、天皇家と武内宿禰および平群氏との君臣関係の締結を示すとされる(平群木菟 – Wikipedia)。
 また、「……古墳時代に、古墳に葬られるような貴人が小鳥になるという考え方があったためではないか」、とする説がある(仁徳天皇の名、オホサザキの秘密 – 古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集) (goo.ne.jp))。『出雲国風土記』の法吉郷の地名説話に、「宇武賀比売命が法吉鳥(ほほきどり、うぐいすのこと)となって法吉神社に鎮座した」という説話があり、当初神社は古墳の上にあったとされる(伝宇牟加比売命御陵古墳 – 全国遺跡報告総覧 (nabunken.go.jp))。

 仁徳天皇が大鷦鷯尊と名付けられたのは、前述の『文選』鷦鷯賦に基づくものと推察される。
「藩籬(はんり)の下に長ず」ということは、ミソサザイは「王家を守護する囲い(『日本国語辞典』)の中で生育した」ということであり、そのことから、由緒ある名前として天皇の息子に鷦鷯と名付けたのであろう。また、「大」を用いたのは、ミソサザイは小さな鳥であるので、それを補正する意味があったものと考えられる。
 名前の交換説話は、前述の説に基づき天皇家と平郡氏との君臣関係を結ぶために、『文選』の鷦鷯賦に付加される形で誕生したものと考えられる。

鳥の王様説話

 イギリスのマン島の説話である。 『マン島の妖精物語』によると、

 どれだけ高く飛べるかを鳥たちが競ったとき、ミソサザイは頭を働かせて、最も高く飛びそうなワシの翼にこっそりつかまる。そして、最後の瞬間にワシより高く飛んで、みごとに一位を獲得。そこで、鳥の王さまということになったそうである。 

 ところが、兵庫県にも、「みそさざいは鳥の王様」という昔話がある(みそさざいは鳥の王様 – 兵庫県の昔話 | 民話の部屋 (minwanoheya.jp))。

 ミソサザイが鷹の仲間に入れてくれと頼むと、鷹の大将は、「そんなに仲間になりたいんなら、この向こうの山にいる猪を、退治してくるがええ。そしたら仲間どころか、鳥の王様にしてやってもええど。けど、そんなチビ助のお前が猪をとることが果して出きるかな。え? 」、という。
 すると、ちょうどそこへ、一匹の大きな猪が、ノコノコと山を下りて来るのが見えた。「よし、あの猪をやっつけてやろう」と、ミソサザイは木の枝に隠れ、すきを見てパッと飛び出すと、猪の耳の中へ入り込んだ。そして、耳の中で大あばれ。チクチク、チクチクと突っ突く。これにはさすがの猪も苦しんで、「ウァ―、たまらん。助けてくれ―」と、耳の中のミソサザイを取り出そうともがき、コロコロ転げたり、あっち走り、こっち走りしているうちに、大きな岩に頭をドカ―ンとぶっつけて死んでしまった。
 ミソサザイは、耳から抜け出すと鷹の大将のところへ行って、「さあ、猪を退治して来た。猪は大きな岩の前に転がっとります」、というと、鷹の大将は鼻先で笑いながら、「何をこの嘘つきめぇ」
と思ったが、ミソサザイと一緒にその場所へ行ってみた。確かに猪は死んでいた。
 「ミソサザイっていうやつは智恵がある。おそろしいやつだ」。そうして、鷹の仲間に入れてもらった。
 「あの、王様の方は……」
 「ちょうしに乗るな、たかが猪を一匹仕留(しとめ)たぐらいで。みてろ、鷹の力がどれほどのもんか見せてやる。二匹いっぺんにつかまえて見せようぞ」。そう言ったかと思うと、鷹の中で一番強い熊鷹が飛び立って行った。
 すると向こうの山で、うまいぐあいに猪が二匹、並んで歩いとった。熊鷹は、バサ―ッと、降りて行って、両の足それぞれに一匹ずつつかまえた。猪は驚ろいたの何の、必死になって逃げようとした。  熊鷹は何のはなすものかと一層猪の背中に爪を立てた。さあ、猪はあまりの痛さに右と左に逃げたからたまらん。その途端、熊鷹は両足の付け根から双(ふた)つにさけて死んでしまったと。
 それで、ミソサザイは鳥の王様になったと。

というのである。
 これらの鳥の王様説話も、仁徳天皇の名前の交換説話と同じように、『文選』鷦鷯賦が背景にあっての説話と考えられる。

鶯に形(な)りが似たとてみそさざい

 これは、「駿河にはすぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠」と詠われた白隠禅師の禅画の画賛。(白隠の名前は、富士山に因んでおり、「富獄は雪に隠れている」とのたとえからとられたものといわれる)。

白隠の禅画の画賛
白隠の禅画「擂鉢にミソサザイ図」の画賛
“鶯に形りが似たとてみそさざい”

 禅画には、擂鉢の中に立つ「すりこぎ棒」にミソサザイが止まって大きく口を開けて鳴いており、画賛に「鶯に形(な)りが似たとてみそさざい」とある。
 ミソサザイはウグイスに似た小柄な鳥であるが、体に似合わぬ大きな声でやかましく囀る。

 「ウグイスではございません。ミソサザイのような私ではありますが」と謙遜しながらも、白隠に喩えられるミソサザイが「いらっしゃい、いらっしゃい、当店には極上の味噌(白隠禅)がございます。どうぞお試し下さい」と、大声で「手前味噌」、すなわち自前の禅を宣伝しているところ(Webサイト『臨済宗 正光寺』白隠禅画帖)、という。
 白隠に倣ったのであろうか、木曽街道の味噌屋が、「擂鉢にミソサザイ図」を看板に使っているのを見たことがある。今も使っているのだろうか。

ウグイスとミソサザイ
 ところで、何故ミソサザイとウグイスが対比されるのであろうか。
 白隠は「鶯に形りが似たとて」といっているが、その形りとは、➀小さな鳥、②頭の先から背筋,尾羽までを真っすぐに伸ばしている姿形。ただし、ウグイスの尾羽は水平、ミソサザイは垂直である。そのほかに、③大きな声で鳴くこと。④留鳥または漂鳥という生態にも共通性があると思われる。それから、⑤もう一つが「みそ」という言葉。

 お節介の語源ともいわれる、「狭匙・切匙(せっかい)」という道具がある。これは、擂鉢の内側などにこびりついたものをかき落とす具、飯杓子を縦に半折したような形のものであり、ウグイスという名前がある(『広辞苑』)。室町時代の宮廷の女官が使った丁寧語で、「女房詞」といわれる。
 「狭匙」がウグイスと呼ばれるようになった由来として、狭匙は、串や箆(へら)の形をしたもので、ウグイスと姿形が似ているということがあるが、もう一つは次の和歌に由来するといわれる。

  飽(あ)かなくに折れるばかりぞ梅の花
          香をたづねてぞ鶯の鳴く  順徳院(『続後拾遺和歌集』春上)

 味噌を女房詞で香(『広辞苑』)という。擂鉢に付着している味噌、すなわち香を見つけては狭匙が移動する様子は、前述の和歌のように、さながら「梅が香」を訪ね歩く鶯のさまに似ている。それ故に、狭匙をウグイスと呼ぶのだという。狭匙という小道具が、室町時代の女房たちによって優雅な道具に変身したとみることができる。
 こうして、「ミソ」を冠したミソサザイとウグイスとは「みそ」を介して関係づけられるのである。

参考文献

  1. 『ウィキペディア』ミソサザイ、
  2. 『倭名類聚鈔 』20巻[鷦鷯] 源順 撰 出版者:那波道圓 元和3 (1617)年 国会図書館ディジタルコレクション
  3. 『日本国語大辞典』第2版[藩籬]小学館 2002年1月20日
  4. 『日本書紀』第十一巻 大鷦鷯天皇 舎人親王 慶長15 (1610)年 国会図書館ディジタルコレクション
  5. Webサイト(木菟(=ミミズク)が産殿に飛び込む (nihonsinwa.com)
  6. Webサイト(平群木菟 – Wikipedia
  7. Webサイト(仁徳天皇の名、オホサザキの秘密 – 古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集) (goo.ne.jp)
  8. Webサイト(伝宇牟加比売命御陵古墳 – 全国遺跡報告総覧 (nabunken.go.jp)
  9. 『マン島の妖精物語』ワシとミソサザイ ソフィア・モリソン 筑摩書房 1994年10月
  10. webサイト(みそさざいは鳥の王様 – 兵庫県の昔話 | 民話の部屋 (minwanoheya.jp)
  11. Webサイト(『臨済宗 正光寺』白隠禅画帖)
  12. 『広辞苑』新村出 2008年1月 岩波書店
  13. 『続後拾遺和歌集』 和歌文学大系 深津 睦夫 1997年9月 明治書院

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