エピソード:絆 ⅱ((東日本大震災に遭遇して)

個人会員 伊澤 俊夫

 2010年6月サラリーマン人生の最後の仕事と思いながら、茨城県石岡市の新子会社社長の任命を受け、神奈川県平塚市から単身赴任を始めた。前年に横浜ゴムが買収した歴史のあるタイヤ金型製造会社を中核として国内外のグループタイヤ会社・工場への金型生産・供給・技術サービスの提供をする機能統合を図ることを目的としていた。計画の骨格は、「タイヤ金型の製作設計から生産、そして本体各工場への納品並びにタイヤ工場における金型保全の技術支援」といった量産タイヤ金型の一貫生産供給体制をこの新子会社を中核に構築する計画であった。そのために、
 ① 既存の生産能力を倍増にまで引き上げる事
 ② 本体から設計製図業務・外注調達業務・試作金型工場の統合(SCMのレベルアップ)
と大変な仕事を実行する事であった。

会社案内
会社案内

 前年に新会社の設立登記をして、横浜ゴムから技術・生産担当役員と総務・経理担当役員の2人の出向者と旧金型会社から移籍した50人の体制で操業準備を始めていて、約半年遅れで私が参加した状態であった。会社の基本的な生産活動はある程度進められていたが、新会社に与えられた目標は高く、実行に当たって、全員が指示を受けたことをまじめにコツコツやるー「職人的意識から、会社・職場のために個人一人一人がどの様な役割を果たしていくのか、積極的に考え、参加していく」意識改革が必要と考えた。
 しかし、それを具体的に進めるにはどうすればよいのか?長年、大規模会社の組織の中で仕事をしてきて身に着けた経験知ではなく、異文化の融合という課題であった。若かりし時代に多くの人に助けられ育てられてきたことを思い出して、私自身が聞き役となって、従業員が主役になるように毎日話を聞いて回った。当然、全員の名前を覚え、一人一人の仕事に対する考え方、悩み、趣味、次第にプライベートな話題も。幸い単身赴任で、事務所ビルの上階で生活していたので、通勤時間ゼロで多くの人と交流することができた。
 しかし、それだけでは仲良く出来ても行動までは変わらない。行動を変えるには、自己発現の舞台=場をつくることが必要と考えた。改善活動発表会やそれぞれの職場で改善実践研究会での個人の活動状況を発表すること。仕事以外の場面でも、従業員の企画で、食事会、スポーツ会、旅行やクリスマス・家族感謝祭「ヨコモ祭」・忘年会などのイベントもしっかり取組んでもらった。従業員全員がベテランも若者も全員参加でそれぞれの役割を果たすことで、実行力や自信が身につき、小集団のチーム力が育成され始めた。
 半年が経過して、次第に従業員の新会社に期待することと各自の役割が共有化されて、改善のスピードが上り始めた。2011年3月11日14時46分 突然襲った東日本大震災は、震源から少し離れたここ石岡市でも震度6強で、各所で道路の隆起・陥没や建造物の損傷が出ていた。会社では幸い人的被害はなく、軽微な物損で留まったが、地域の停電・断水などで1週間の操業停止となった。私を含む8人の寮生活者は地元在住社員の炊き出しを受けた。震災後の復旧作業も全員の協力で短期間で通常作業に戻ることができた。3月末の納品も休日返上の頑張りで遅滞なく出荷することができた。大災害による危機の共有化で従業員の結束力は一段と強まり、家族的な絆が結ばれたようである。初年度の決算と次年度の予算作成も2人の事務担当と課長、役員達でまとめることができた。しかし、決算の内容は想定外のトラブルで大幅な赤字決算となってしまった。そのため、本社役員会で状況報告を行った。しかし、次年度計画では本社からの資金援助を受けることで当初中期計画を殆ど修正する事なく原案に沿った計画の承認を受けた。
 生産能力の倍増については、設備能力は基幹の鋳造設備、各種汎用機、専用機について稼働率を改善することで、十分に対応できると判断できた。ポイントは人的作業効率アップと工場内に生産の流れを作ること。長年の職人的な仕事のやり方から、前後工程との連携を意識した仕事のやり方に改善すること。そのことで生産リードタイムの短縮が可能と判断し、アクションプランを作成して、活動に取組んでもらうこととした。CAD/CAM技術・石膏成型技術・アルミ鋳造技術を駆使したタイヤ金型製造工程は個人ノウハウの塊で正に職人芸のこだわりをもった仕事であった。それを一つ一つの作業の標準作業時間を設定して、時間通りに次工程に渡すこと。作業の内容は変わらないが時間を意識した働き方への大変革であった。
 従来バラバラに取っていた休憩時間も少しずつ統一して行った。毎日ほぼ決められた時間に各工程に行って、作業者とおしゃべりをして歩いた。もともとの50名の従業員の大半は地元出身者やご近所さんで仲が良かった。気心の知れた、いくつかの仲良しグループで構成されていたが、アフターファイブは毎晩お食事会・飲み会に誘われた。お陰で難しい話は別にして、私と一緒に本体から出向してきた役員2名も加えて短期間に皆仲良くなった。飲み会は普段シャイな日本人の得意なコミュニケーションツールである。いつの間にかハラスメントの障壁が下がって、本音の話ができた。大震災からの短期間での復旧は全員の家族的な絆による意識変化の結果であったと思っている。

ISO認証

 次年度以降の計画もそれを達成するための大変さも全員で共有化した。仕事のやり方を変えていくために、会社として形から入る部分も短期間で取組み、ISO9001,14001の認証取得に挑戦した。この活動事務局に専任となったベテラン女性のがんばりで見事全員を束ねて認証取得を達成した。

工場敷地で植樹祭
「工場敷地で植樹祭」
茨城新聞&インターネットで紹介される。

 CSR活動も本社の「千年の杜活動」にならって、茨城の地の利を生かして、「杜つくりの苗木育成基地」として全社の活動に貢献することが出来た。

ヨコモ祭
ヨコモ祭

 従業員への感謝として、見える形で行事・イベントを設定して皆で楽しんだ。誕生日会、春の旅行会、家族感謝祭➡翌年からCSR植樹祭兼ねて「ヨコモ祭」地域近隣住人や副市長までご招待、クリスマスパーティー、忘年会等社員手作りの活動で盛り上がった。小さな会社であったが、従業員の満足度と誇りは次年度以降の求人活動で大きな効果に結びついたのである。(社員が誇れる町工場)。

 続く大きな課題は、本体からの業務移管とそれに合わせた人員の受入れであった。設計業務担当者は新会社籍としたが、希望者は平塚駐在とした。静岡県の分工場は設備の移設と30数名の移籍が大変な作業となって半年間の時間をかけて実施した。設備の移設は受入れ場所の整備~設備の設置まで2か月ほどで行ったが、他県への移住については家族を含めた移動になるため一人一人時間をかけて行った。
 新住居探しを含めて、新しい仲間の受入れに先の50名の人達が親身になって協力してくれた。最終的には、従来からの土地を離れることが出来ない人もあって、10名程度の移籍者となってしまった。残りの人達は職種が変わってしまうが、静岡県のタイヤ工場に勤務してもらうことになった。結果計画人員に対して、大幅な人員不足となった。機能別に運営できる大会社は人員配置を含めて融通・調整が
可能であるが、少人数の中小企業では一人一人のパフォーマンスが全体の運営に大きく影響する。従って新卒は先輩が在籍していた絆で信頼の置ける玉造高専と茨城大学にお願いした。その他は従業員の紹介を優先して、口コミで随時採用とした。良い人柄に出会えれば、人はいくらでも成長できる。意外な出会いとしては歯科技工士3名の採用であった。歯科技工士はもともと精密作業をコツコツ続けられる特性があるが、歯科の仕事も個人事業で辛い所もあり、工業系の仕事の希望者もいるとのこと。新しい会社であったが地元の評判が良く、従業員の紹介で多くの人が応募してくれて、丁寧に面談のうえ人柄重視で採用した。震災後2年で人員も120人規模の会社に成長した。 次号に続く。

震災後のリニューアル事務所にて
震災後のリニューアル事務所にて
千年の社活動
千年の社活動

   


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