時候
夏の鳥:カワセミ
カワセミとは
ブッポウソウ目カワセミ科の鳥。スズメより大形で、尾は短く、嘴は鋭くて長い。体の上面は暗緑青色、背・腰は美しい空色で、「空飛ぶ宝石」とも称される。水中の小魚やザリガニなどをとる。巣は崖に横穴を掘ってつくる。ヨーロッパ・アジアに分布。なお、カワセミ科は世界に約90種(『広辞苑 6版』)。「青い宝石」とか「渓流の宝石」という呼称もある。
名称について
カワセミは「川に棲むセミ」の意。「セミ」は古名の「ソニ」が「ソビ」に変化し、それが転じて「セミ」となった。その「ソニ」の「ニ」は土の意味で、ソニ(青土)に由来する。また、近縁の「アカショウビン」などのショウビンもこの「ソニ」に由来する。
これらとは別に、室町時代から漢名を取り入れ、「ヒスイ(翡翠)」とも呼ばれるようになった(『ウィキペディア』カワセミ)。しかし、翡翠にはカワセミという読みもある(『広辞苑』)。
カワセミは、それを表す漢字が沢山ある。川蝉、翡翠、魚狗、水狗、魚虎、魚師、鴗など。魚狗、水狗、魚虎、魚師などの漢字はカワセミが巧みに魚を捕らえる様子に由来する(『ウィキペディア』カワセミ)。
記紀とカワセミについて
カワセミは、ソニドリとして記紀にも表れ、古くから知られた鳥である。
1)天若日子の葬儀
天若日子が天上からの返り矢に当たって亡くなると、その妻下照比売の鳴く声が風に乗って響き天まで届いた。これを天にいる天若日子の父、天津国玉神と妻子が聞いて、葦原中国へ降って来て、鳴き悲しんでただちにそこに喪屋を作り、
河雁(かわかり)をきさり持とし、
鷺(さぎ)を掃持(ははきもち)とし、
翠鳥(そにどり)を、御食人(みけびと)とし、
雀を碓女(うすめ)とし、
雉(きざし)を、哭女(なきめ)とし、
このように役割を割り当てて、八日八晩の間、歌舞音曲を奏した、といわれる。
この中の翠鳥(そにどり)はカワセミの古名で、「御食人」は死者のための調理人であるが、カワセミが巧みに魚を捕らえることからその役割を負ったものと思われる。河雁の「きさり持ち」は未詳、鷺の「掃持」は喪屋を掃くほうきをもつ役、鷺の頭に冠毛のあることからの連想か、雀の「碓女」は臼で米をつく女、雀を当てたのはウスメとの音的関係か、といわれる。(新編日本古典文学全集『古事記』)。
2)須勢理毘売命との別れ歌
大国主命は正妻の須勢理毘売命の激しい嫉妬に困惑し、大和に上ろうとして歌いかける、別れ歌の中に、カワセミは次のように詠まれる。
ぬばたまの 黒き御衣を まつぶさに 取り装ひ 沖つ鳥
胸見る時 はたたぎも これは適はず 辺(へ)つ波 そに脱ぎ棄て
鴗鳥の 青き御衣を まつぶさに 取り装い 沖つ鳥
胸見る時 はたたぎも これは適はず 辺つ波 そに脱ぎ棄て……
「青き御衣」は、カワセミの背・腰の美しい色に由来する。(新編日本古典文学全集『古事記』)
大石内蔵助とカワセミについて
大石内蔵助が山科に隠棲していたときのエピソードである。内蔵助が伏見で放蕩三昧を繰り返し遊女に抱えられて戻る途中、墨絵の『カワセミの掛け軸』に「賛」(絵画にそえて書きつける詩文(広辞苑第六版))を頼まれる。
酩酊しているはずの内蔵助は、
濁り江のにごりに魚はひそむとも
などかわせみのとら(捕)でおくべき
と賛を記した。濁り江に潜む魚は吉良上野介、魚捕りの名手のカワセミは大石内蔵助の隠喩とされ、内蔵助の覚悟のほどを知ることができる賛である。酔いの醒めた内蔵助は不覚と思ったか、その掛け軸を取り戻そうとするが、既に売れてしまっていた、という。なお、この掛け軸は京都の岩屋寺に保管されているそうです。この賛には内蔵助の覚悟を試すために仕掛けられたものという説もある。(内蔵助のカワセミの掛け軸が、ここに… | 京都大好き京都観光あれこれブログ (ameblo.jp))。
自治体の制定鳥として
小生の調査によると、カワセミは自治体が制定した鳥として41の市区町村から制定され、制定鳥数の5.1%を占め、ウグイス、メジロ、キジに継いで4番目である。キジと共に記紀に記され、古くから現在まで親しまれている珍しい鳥である。
参考文献
- 『広辞苑』第6版 「カワセミ」 新村出 岩波書店
- 『ウィキペディア』カワセミ フリー百科事典
- 『古事記』新編日本古典文学全集 山口佳紀 小学館 1997年6月
- Webサイト(内蔵助のカワセミの掛け軸が、ここに… | 京都大好き京都観光あれこれブログ (ameblo.jp))
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