時候
夏の鳥 ホトトギス
ホトトギスとは
ホトトギスはカッコウ科の鳥。「絹を裂く」と喩えられる特徴的な激しい鳴き声で鳴き、自分で孵化や子育てをせずにウグイスに托卵する習性をもち、また夜に鳴く鳥、南方で越冬する渡り鳥としても知られる。
日本では、激情的ともいえるさえずりから、ホトトギスの和歌が数多く詠まれ、すでに『万葉集』では153例、『古今和歌集』では42例、『新古今和歌集』では46例が詠まれている。鳴き声が聞こえ始めるのとほぼ同時期に花を咲かせる橘や卯の花と取り合わせて詠まれることが多い(『ウィキペディア』ホトトギス)。
ウグイスとは托卵という生態的な関係だけではなく文学的あるいは民俗学的な側面からもよく対比される。しかし、全国の市町村で制定されている鳥の数を親愛度の指標としてみるとき、ウグイスの制定数は167(20.8%)で1位であるのに対し、ホトトギスの制定数は2(0.3%)で47位に甘んじている。なお、これは小生の調査結果によるデータである。
現代では、社会状況の変化などにより、ホトトギスに関する指向が変わってしまったからと思われる。
夏の鳥
ホトトギスは、「卯の花の匂う垣根に時鳥(ホトトギス)早も来鳴きて忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ……」の歌で知られるように夏の鳥である。
ホトトギスは渡り鳥であり、インドから中国南部で越冬する個体群が5月頃になると中国北部、朝鮮半島、日本に渡ってくる。日本には5月中旬ごろにくる。他の渡り鳥よりも渡来時期が遅いのは、托卵の習性のために対象とする鳥の繁殖が始まるのにあわせることと、食性の毛虫類を捕食するため早春に渡来すると餌にありつけないため(『ウィキペディア』ホトトギス)、といわれる。
ホトトギスが渡来する時期は、田植えの時期であり、その鳴き声は田植えの時期を告げる鳥として古くから知られている。
いくばくの田をつくればか時鳥
しでの田長(たをさ)を朝な朝な呼ぶ (藤原敏行『古今和歌集 』)
なお、田植えは奈良時代に定着したといわれていたが、近年の考古学の発掘成果で、縄文時代晩期から古墳時代にかけての水田遺構が日本各地で発見され、移植栽培の痕跡とみなされる株跡が数多く検出されており、日本でも田植えが古くから行われていたことが裏付けられている(『ウィキペディア』田植え)、という。
ホトトギスの漢字として当てられる時鳥は田植えの「時を告げる鳥」に由来するといわれる。死出の田長や早苗鳥、勧農鳥などの異名がある。
また、渡来の時期から卯の花・橘・菖蒲(あやめ)草・藤とともに歌に詠まれることが多い(Webサイト(たのしい万葉集: 霍公鳥(ほととぎす)を詠んだ歌 (art-tags.net)))。
霍公鳥(ほととぎす)来鳴き響(とよ)もす卯の花の
伴にや来しと問はましものを (石上堅魚『万葉集』8-1472)
橘の花散る里の霍公鳥
片恋しつつ鳴く日しぞ多き (大伴旅人『万葉集』8-1473)
霍公鳥いとふ時なしあやめぐさ
かづらにせむ日こゆ鳴き渡れ (田辺福麻呂『万葉集』18-4035)
藤波の散らまく惜しみ霍公鳥
今城の岡を鳴きて越ゆなり(『万葉集』10-1944)
鳴き声と聞きなし
オスの鳴き声(さえずり)はけたたましいような声で、「キョッキョッ キョキョキョキョ」と聞こえる。ウグイスに子育てされているのに「ホーホケキョ」と鳴かないのは、学習性がないからであろうか。
鳥の鳴き声は何を言っているのかは解明されていない。そこで、聞こえた鳴き声を人間の言葉に置き換えて聞いている。こういう聞き方を聞きなしという。ホトトギスの鳴き声の聞きなしとして、「本尊掛けたか」、「特許許可局」や「テッペンカケタカ」などが知られている(『ウィキペディア』ホトトギス)。
「ほととぎす」とも聞こえるといわれ、『万葉集』には次の和歌がある。
暁に名告り鳴くなる霍公鳥
いやめづらしく思ほゆるかも (大伴家持『万葉集』18-4084)
「ホトトギスと兄弟」は小鳥前生譚に属する動物昔話である。盲目の兄が弟の好意を邪推し,弟の腹を割いて殺した後,真実を知ってホトトギスに化し「弟(おと)恋し」と毎日八千八声鳴くという話。全国的に分布し,おもに兄と弟の悲劇を語るが,親と子,和尚と小僧の話になっている地域もある。聞きなしも各地で異なり,「包丁かけたか」(岩手),「弟腹切っちょ」(東京),「弟恋し,芋掘って食わそ」(石川),「ほーろんかけたか」(奈良),「弟いるか」(長崎)と多様である(『世界大百科事典』時鳥と兄弟)。芋とは渡来時期に収穫される食物である山芋のことであり、山芋の収穫を告げる鳥ともいわれる。
「オトノドツッキッタ」(弟ののどを突き切った)という聞きなしもある(『日本大百科全書(ニッポニカ)』時鳥と兄弟)。
「不如帰」はホトトギスに当てられる漢字であるが、聞きなしでもある。長江流域に蜀という傾いた国(秦以前にあった古蜀)があり、そこに杜宇という男が現れ、農耕を指導して蜀を再興し帝王となり「望帝」と呼ばれた。後に、長江の氾濫を治めるのを得意とする男に帝位を譲り、望帝のほうは山中に隠棲した。
望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始める季節が来るとそれを民に告げるため、杜宇の化身のホトトギスは鋭く鳴くようになったと言う。また後に蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。= 何よりも帰るのがいちばん)と鳴きながら血を吐いた、血を吐くまで鳴いた、などと言い、ホトトギスの口の中が赤いのはそのためだ、と言われるようになった(『ウィキペディア』ホトトギス)。
夜に鳴く鳥 ⇒ 冥土に通う鳥
ホトトギスは、夜にも鳴く鳥、姿も見せずに鳴く鳥というところから、冥土に通う鳥とされ(Webサイト(『季節の言葉(japanknowledge.com))』ホトトギス)、魂迎鳥、無常鳥、死出の田長などの異名がある。
相聞歌とホトトギス
万葉時代の婚姻形態は、妻訪婚といって、男が女の家に赴いて、一夜を一緒に過ごすという形が基本であった。古墳時代から平安時代までは妻問婚の時代と考えられており(『ウィキペディア』妻問婚)、『万葉集』などにはそれを詠んだ相聞歌(恋歌)が多い。
ホトトギスが多く詠まれるのは、来るのを待ったり別れを惜しんだりする心情が激情的ともいわれるホトトギスの鳴き声に適っていることや夜鳴く鳥という習性が関係していると思われる。
暇(いとま)なみ来まさぬ君に霍公鳥
我れかく恋ふと行きて告げこそ(大伴坂上郎女『万葉集』8-1475)
恋人・夫婦を意味する「妹背(いもせ)」を用いて「妹背鳥(いもせどり)」とも呼ばれる。
参考文献
- 『ウィキペディア』ホトトギス、夏は来ぬ、田植え、妻問婚
- 『古今和歌集全評釈』 片桐 洋一 講談社 1998年
- Webサイト(たのしい万葉集: 霍公鳥(ほととぎす)を詠んだ歌 (art-tags.net))
- 『萬葉集』 新潮日本古典集成 青木生子 井手 至他 新潮社 平成27年7月
- 『世界大百科事典』第2版 平凡社 1998年
- 『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館
- Webサイト(『季節の言葉(japanknowledge.com))』ホトトギス 2001年6月
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