4. MPUの進化の視点
プロセスルールは、集積回路設計での素子や配線の寸法を規定するデザイン・ルールであり、微細化の指標である。1971年に開発された、最初のワンチップMPU Intel 4004のプロセスルールは10μm。2020年9月に出荷されたTSMCのApple A14のプロセスルールは5 nmであり、50年の間に1/2000に微細化(スケーリング)されていることがわかる(集積回路 – Wikipedia)。
ワンチップMPUはICのスケーリング(微細化加工)則を中心に高速化と高集積化を重要な指標として進化してきたが、それだけでなくトランジスタ素子、ICチップの形態やMPUアーキテクチャの進化などをも伴ってMPUは進化している。そのようなMPUの進化の視点について考察する。
4.1 トランジスタ素子の進化
バイポーラ
最初にICを商品として発売したのはフェアチャイルド社であり、1961年のことである。素子としてバイポーラトランジスタ(Bipolar transistor)を使ったバイポーラICである。これは、高消費電力、高速という特徴がある( makimoto_01_04.pdf (shmj.or.jp))。
バイポーラトランジスタは、N型とP型の半導体がPNPまたはNPNの接合構造を持つ3端子の半導体素子であり、電流増幅およびスイッチングの機能を持つ。最初に広く使われたトランジスタであるため、単にトランジスタというときにはバイポーラトランジスタを指すことが多い(バイポーラトランジスタ – Wikipedia)。
スイッチング素子としては高速であるが、電流を流す構造特有の少数キャリア蓄積効果のため、本質的に動作速度の限界がある。動作はすべて入力電流による制御のため、消費電力量が大きくなる。高い増幅率や優れた量産適性で非常に廉価に入手できることから、民生・産業・航空宇宙・防衛の総べての分野で幅広く利用された電子デバイスである(バイポーラトランジスタ – Wikipedia)。
MOSFET
MOSFETトランジスタ(Metal-Oxide-Semiconductor Field-Effect Transistor、金属酸化膜半導体電界効果トランジスタ、MOSトランジスタ)は、1959年にベル研究所のモハメド・M・アタラとダウォン・カーンによって発明された。製造プロセスには、PMOS(p型MOS)とNMOS(n型MOS)の2種類があり、いずれもアタラとカーンにより1960年に開発された(CMOS – Wikipedia)。
1964年には、テキサスインスツルメント(TI)社他からMOSFETをベースにした MOS IC の発表があった。これは低速であるが低消費電力という特徴がある( makimoto_01_04.pdf (shmj.or.jp))。
MOSFETは入力電圧による電界で制御しており、わずかなリーク電流以外は流れないため一般に低消費電力である。また構造的に高集積化に適している(MOSFET – Wikipedia)。
CMOS
CMOS(Complementary Metal-Oxide-Semiconductor、相補型MOS)は、p型とn型のMOSFETを相補的に組み合わせて、論理ゲートやその他のデジタル回路を実装するものである(CMOS – Wikipedia)。
CMOSプロセスは、フェアチャイルドセミコンダクター社のフランク・ワンラスが考案し、翌1963年にワンラスとチータン・サーが学会で発表したのが始まりである(CMOS – Wikipedia)。
1968年に RCA社からCMOS ICの発表があった。 これは消費電力が極めて小さいという特徴があるものの、スピードが遅くまた高価であっ たため、初めは軍用などの特殊分野への応用に限られていた。いわばニッチ技術とみられていた。CMOS IC が大量生産されるきっかけを作ったのは日本における時計と電卓への応用であった( makimoto_01_04.pdf (shmj.or.jp))。また、高い耐ノイズ性も重要な特性とされた(CMOS – Wikipedia)。
その後、1978年、増原利明が率いる日立の研究チームは、ツインウェルHi-CMOSプロセスを導入し、3μmプロセスで製造したメモリチップ HM6147(4Kbit SRAM)を発表した。アクセス時間は当時最速のIntel 2147(NMOS)より高速で、消費電流はIntel 2147の1/2以下に削減することに成功した。性能が同等あるいはそれ以上で消費電力が大幅に少ないツインウェルCMOSプロセスは、最終的にNMOSを抜いて1980年代のコンピュータ用半導体製造プロセスとして最も一般的なものになった(CMOS – Wikipedia)。
また、メモリセルなどの論理部をNMOSだけで構成し高密度集積と、CMOS固有のプロセスの複雑さを解消しNMOS技術と同等のプロセスの簡単化とを実現した(日立評論1985年8月号:Hi-CMOS技術の展開 (hitachihyoron.com))。
IC の電源電圧は,1980 年代から長い間,実質5V 単一の時代が続いていた。しかし、微細加工技術が0.5μm 以下のディープサブミクロン(Deep SubMicron、DSM)プロセスの時代を迎え,システムの低消費電力化,低雑音化を図り,高集積化・高速化のトレンドを維持するには電源電圧の低電圧化が必須となってきた(ED-5001A_J.pdf (jeita.or.jp))。
1980年代半ばには、IBMのビジャン・ダヴァリが高性能、低電圧のディープサブミクロンCMOS技術を開発し、より高速なコンピュータやモバイルコンピュータ、バッテリー駆動の携帯電子機器の開発が可能になった(CMOS – Wikipedia)。
MPUの素子の進展
最初のワンチップMPUであるIntel 4004で使用されたトランジスタはPMOSであった。1970年代前半はPMOSの時代、1970年代後半のNMOSの時代を経て1980年代に当初ニッチ技術とみられていたCMOSが主流となった(CMOS – Wikipedia)。
CMOSの最初のMPUは、1981年に発表された日立のHD6301Vシリーズである。モトローラ社の8ビットMPU MC6800をCMOS化したものである(Hitachi HD6301 (rim.or.jp))。
メインフレームにおける素子の進展
メインフレーム市場で勝ち残ったIBM、富士通、日立の3社が、1990年に発売した上位モデル(機種)は、期せずしてすべてバイポーラ(ECL)による水冷式コンピュータであった。
しかし、その5年後(1995年)に発売された機種に用いる半導体技術については対応が分かれた。IBMと富士通はCMOSを適用したワンチッププロセッサを、日立はバイポーラにCMOSを混載したワンモジュールプロセッサを実現した。
この結果、日立のコンピュータはIBM・富士通の3~4倍の高速性能を達成し、価格/性能比でも優れていたため、ハイエンド機市場では圧倒的に顧客に支持された。(メインフレーム用CPUのCMOS化 (shmj.or.jp))。
IBMは、その後も改良を続け、1999年に、CMOSの性能はスケーリング(微細加工)則により、ついにバイポーラに追いついた(メインフレーム用CPUのCMOS化 (shmj.or.jp))。
バイポーラ(ECL)を使用した最後に近いものとしては1999年発表の日立のMP6000がある。2001年発表のAP8000ではCMOS化した(メインフレーム – Wikipedia)。こうして、メインフレームもCMOS化された。なお、CMOS化よって消費電力量が著しく減少し発熱量も減少するため、冷却方式は空冷式となった。