その6 第4世代(1980年~):超大規模集積回路(VLSI) その1
本稿は、超大規模集積回路(VLSI)を用いたコンピュータの第4世代についての解説ですが、この世代は長期に渡っていることもあり、記載項目が多く数回に分けて連載します。本稿はその1です。
1.超大規模集積回路(VLSI)と第4世代について
集積回路(IC)は、シリコン単結晶などの半導体チップの上に多数のトランジスタを集積した、複雑な機能を果たす電子回路部品である。ICチップの高集積化は、デナード則によって高性能化、低消費電力化、高周波化、小型化、低価格化の望ましい効果をもたらすことが理論的に証明されていたため、ICは、微細化加工技術の進展とともに、小規模集積回路( SSI, Small Scale Integrated circuit)、中規模集積回路(MSI, Middle Scale Integrated circuit)、大規模集積回路(LSI, Large Scale Integrated circuit)と、トランジスタの集積化の規模を拡大させていった(集積回路 – Wikipedia)。
1980年代になると、1チップに集積されるトランジスタ数が10万個以上の集積回路が作られるようになり、超大規模集積回路(VLSI, Very Large Scale Integrated circuit)と呼ばれた。超LSIと呼ばれることもある(VLSIとは – 意味をわかりやすく – IT用語辞典 e-Words)。
VLSIからさらに高集積化したICはULSI(Ultra Large Scale Integrated circuit)と呼ばれたこともあったが、素子の集積度で世代分けすることの意義が疑問視され、現在ではULSIという用語を用いることはない(集積回路 – Wikipedia)。
第4世代とは、1980年代に始まるVLSIを採用したコンピュータの世代である。その後の技術革新は著しいが現在も第4世代である。
2.ICの発明のインパクトについて
日本半導体歴史館の牧本次生館長は、2006年7月12日から2008年1月9日の期間、半導体産業新聞に連載された記事の中で、ICの役割について次のように述べている。
今日のユビキタス社会*)を築くにあたってICの発明が果たした役割は極めて大きく、筆舌に尽くしがたいほどである。2004年に IEEE スペクトラム誌が発刊 40 周年を記念しておこなったアンケートに答えて、インテル会長(当時)のクレイグ・バレットは、「IC がなければ PC も携帯電話も大きなビルのようなものになっていただろう」、と述べている。
これは IC の発明がいかに大きなインパクトを持つものであったかを端的に示す言葉である。今日のユビキタス社会はまさに IC の発明とその後の技術革新によってもたらされたものである。(makimoto_01_04.pdf (shmj.or.jp))。
注*)「いつでも・どこでも・何でも・誰でも」がコンピュータネットワーク、インターネットを初めとしたネットワークにつながることにより、さまざまなサービスが提供され人々の生活をより豊かにする社会である(ユビキタス社会 – Wikipedia)。
最初の真空管式のコンピュータENIACは、「幅30m、高さ2.4m、奥行き0.9m、総重量27トンと大掛かりな装置で、設置には倉庫1個分のスペース(167m2)を要した。消費電力は150kW。そのため、ENIACの電源を入れるとフィラデルフィア中の灯が一瞬暗くなったという噂が生まれた(ENIAC – Wikipedia)」、ということから考えると、クレイグ・バレットの話は理解しやすいであろう。
なお、2004年頃には、インテルのPentium 4が販売されており、チップあたりの集積度は10Mトランジスタになっている(ムーアの法則 – Wikipedia)。
3.マイクロプロセッサ(MPU)とは
コンピュータの主要な構成要素である中央処理装置(CPU、プロセッサ)に必要な機能(演算や制御)を備え、ICチップに実装された電子デバイスをマイクロプロセッサ(MPU、Micro-Processing Unit)という。MPUは、CPUに汎用性があるのと同様に汎用性があり、CPUとして用いられるだけでなく、周辺の電源や入出力などの制御にコントローラとして使われる(マイクロプロセッサ – Wikipedia)。
ICチップにMPUが実装されるようになったとき、ICチップは単なる電子回路部品ではなく汎用性のあるCPUまたはプロセッサとして捉えることができるようになった。また、MPUを構成要素としてより大きなシステムを構築する道が開かれるようになり、ハードウエア設計プロセスの革新をもたらしたといえるであろう。
(1) 最初のMPU
1971年11月15日、インテルは世界初の商用マイクロプロセッサ 4004 をリリースした。これは日本の電卓会社ビジコンのためにビジコンと共同開発したもので、固定の電子回路の代わりにプログラミング可能なコンピュータで電卓を構成するという発想が元になって、ワンチップ・マイクロプロセッサが生まれた(計算機の歴史 (1960年代以降) – Wikipedia)。
4004はデータのビット数が4ビットで、消費電力の低いPMOSトランジスタを採用している(Intel 4004 – Wikipedia)。そのために、マイクロプロセッサを使ったコンピュータは当初計算能力も性能も低く、ミニコンピュータですぐに採用して小型化できるレベルではなかった。そのため、全く異なる電卓やパソコン市場を形成することになる(計算機の歴史 (1960年代以降) – Wikipedia)。
PMOSトランジスタの採用はICチップの高集積化と相俟って低消費電力化を推し進め、電卓やパソコンで特に重要な熱対策の問題を軽減することになる。メインフレームは高速であるが消費電力が高いバーポーラトランジスタを採用していたため水冷による熱対策が実施されるようになっていく。
(2) 最初のVLSIワンチップMPUについて
第4世代の基盤となったのは、インテルが開発したMPU 4004であるが、4ビットのMPUで、その集積度は2,250トランジスタといわれ、LSIのレベルである(Intel 4004 – Wikipedia)。1970年代から見れば、その後のMPUの処理能力と記憶容量の発展はめざましいが、MPUが第4世代(VLSI)と呼ばれるにはもう少し待たねばならない。
MPUのビット数は4⇒8⇒16ビットと増加し処理能力は向上して行くが、16ビットMPUの開発時期の前半においては、1978年発表のインテル8086は29kトランジスタ(Intel 8086 – Wikipedia)、1979年発表のモトローラMC68000は、データビット数は32ビットであったがデータバスは16ビット幅で、70kトランジスタ(MC68000 – Wikipedia)であり、まだLSIのレベルである。
1979年発売のデータジェネラルのmicroNOVA MP/100はVLSIのシングルチップMPUとされ、最初のVLSI製品といわれる。所要トランジスタ数は不明であるが、同社の16ビットのミニコンピュータNOVAをMPU化したものである(データゼネラルNova – Wikipedia)。
また、1982年発表のインテルの80286は134kトランジスタで、VLSIの域に到達している。このMPUは、8086と上方互換性のあるMPUで、命令の実行をパイプライン方式で高速処理を行い、また、30ビットのアドレス空間(1GB)をもつ仮想記憶方式を採用している。前述の事例、特に80286の件から、16ビットMPUでも、パイプライン方式や仮想記憶方式などを導入し、MPUの内部処理を高度化して行くと、所要トランジスタ数が増加しVLSIの域に到達すると考えられる。このMPUはIBMのPC/ATおよびその互換機、日本ではNECのPC-9800シリーズによって広く普及し、DOS時代の代表的なパーソナルコンピュータ (PC) 用MPUであった(Intel 80286 – Wikipedia)。