時候:2月の季語 梅

時候

2月の季語 梅

 庭の梅が大寒の1月末日に一輪咲き始めたが梅は2月の花である。
 梅は早春の寒気の残る中、百花にさきがけて白色五弁の花を開く。「花の兄」「春告草」とも呼ばれ、その気品ある清楚な姿は、古くから桜とともに日本人に愛され、多くの詩歌に詠まれてきた。香気では桜に勝る。
 旧暦の天平2年(730年)1月13日、大宰帥(だざいのそち)・大伴旅人の邸宅で開かれた宴会では梅花を題材に32首の歌が詠まれ、「梅花の宴」と呼ばれる。元号『令和』はその序文に基づいて制定されたことはよく知られている。

梅の原産地と伝来

 梅は中国の揚子江沿岸地域が原産地といわれ、稲の原産地と重なる。それ故、稲と共に日本に弥生時代に伝来したといわれる。
 日本で梅が注目され始めたのは平城京の貴族の庭に梅が植えられ、『万葉集』に多くの和歌が詠われたことによる。

梅の異名

 好文木(こうぶんぼく、中国の故事から)、春告草(はるつげぐさ、鶯に春告鳥の異名がある)、初名草(はつなぐさ)、香散見草(かざみぐさ)*1)、風待草(かぜまちぐさ)*2)、匂草(においぐさ、鶯に匂鳥の異名がある)、花の兄(弟は桜)、一枝の春(中国の故事から)などが知られている。

*1)山里の軒端に咲けるかざみぐさ
     色をも香をも誰れ見はやさん (順徳院『蔵玉和歌集』)
*2)東風を待って咲き始める花
  東風吹かばにほひおこせよ梅の花
       主なしとて春を忘るな(菅原道真『拾遺和歌集』)

梅や鶯をシンボルとする自治体について

田浦梅林
田浦梅林

 全国の自治体では花・木・鳥を自治体のシンボルとして制定している。平成30年(2018年)10月1日の時点で総務省が公表している全国の区市町村1,741を対象にして、花・木・鳥について調査したことがある。ただし、東京都の23区は特別区なので含まれるが、政令指定都市における区は含まない。
 それらのうち、梅や鶯、「梅に鶯」についての調査結果は下記の通りである。これらの数は、現代において人が梅や鶯に親近感を抱いている指標とみることができるであろう。

(1) 梅の花を制定している自治体

 自治体における花の制定数は1,901(109%)で、複数の花を制定している自治体が存在する。梅の花を制定している自治体は41(2.4%)である。花の制定数の2.2%で、花の上から7番目であり、上位には、ツツジ,サクラ,キク,サツキ,コスモス,ヒマワリが並ぶ。

(2) 梅の木を制定している自治体

 自治体における木の制定数は1,796(103%)で、木も複数制定されている。梅の木の制定数は36(2.1%)である。木の制定数の2.0%で、上から14番目である。上位には、サクラ,ケヤキ,マツ,クスノキ,スギ,クロマツ,イチョウ,ブナ,アカマツ,モミジ,イチイ,ナナカマド,モクセイが並ぶ。

(3) 梅(梅の花と梅の木の総数)を制定している自治体

 梅を制定している自治体は77(4.4%)である。

(4) 鶯を制定している自治体

 自治体における鳥の制定数は802(46%)で、花や木に比べて制定数が少ないという特徴が見られる。鶯の制定数は167(9.6%)である。鳥の制定数の20.8%で、鳥の最上位である。

(5) 「梅に鶯」を制定している自治体

 「梅に鶯」のたとえを有名にしたのは、鶯宿梅の故事といわれる。

 村上天皇の御代(947~956)、御所の清涼殿の前の梅の木が枯れてしまったので、代わりの木を探していたところ、西の京のある家に、色濃く咲いている梅の木で、姿かたちの立派なのがあった。掘り起こして持って行こうとすると、召し使いが来て、次の和歌が書かれた短冊を木に結び付け御所へ持って行って下さい、といった。

勅なればいともかしこしうぐいすの
    宿はと問はばいかが答へむ(紀内侍『拾遺和歌集』)
【勅命ですから、まことに恐れ多いことで、謹んでこの木は差し上げましょう。しかし、いつもこの木に来なれている鶯がやってきて、「私の宿はどこへ行ってしまったの」と尋ねられたら、どう答えたものでしょうか】

 その家は、紀貫之の娘「紀内侍(きのないし)」の家だったのである。村上天皇はその和歌をみると直ぐに返したといわれる。
 紀内侍の機智に富んだ和歌と行動は、「梅に鶯」のたとえを不動のものとする役割を果たしたと思われる。鶯宿梅の故事は、その後各時代を通じて広められ、それを収めた作品はいろいろなジャンルに及んだ(論文『紀貫之の娘「鶯宿梅」歌説話小考』)、といわれる。

 梅の木または花と鶯とをともに制定している、すなわち「梅に鶯」を制定している区市町村は16であるが、鶯宿梅の故事から推定されるように、梅の名所などがありその縁で鶯が制定され、「梅に鶯」となったケースが多い。

 ➀秋田県羽後町,➁山形県真室川町,③福島県白河市(松平定信公の梅鉢の紋所と国指定史跡の白河小峰城にある梅林),④茨城県茨城町,⑤埼玉県越生町(生越梅林、関東の三大梅林),⑥東京都大田区(蒲田梅屋敷公園と池上梅林),⑦東京都青梅市(金剛寺の「将門誓いの梅」:「青梅」という由来の伝承の梅、吉野梅郷),⑧山梨県都留市(5ケ町村の合併を象徴する梅の花),⑨和歌山県みなべ町(南高梅の発祥地、日本一の梅の里),⑩三重県朝日町(かって著名な梅林があった),⑪広島県熊野町,⑫福岡県築上町(綱敷天満宮の梅林),⑬福岡県香春町(伝教大師最澄ゆかりの神宮院の梅林),⑭宮崎県新富町(名木「座論梅」),⑮熊本県益城町(水道センターの梅林),⑯熊本県人吉市(人吉藩の藩主相良家の梅の紋所、直営の人吉梅園)

(6) 梅の花、梅の木および鶯を共に制定している自治体

 梅の花、梅の木および鶯を共に制定している自治体は2である。その詳細は下記の通りであるが、前述の「梅に鶯」の特別の形態と考えられる。

➀山形県真室川町

 Webサイト上では、公式には制定の由来についての説明を記していないが(Webサイト(『真室川町』「真室川町って」⇒「町の概要」⇒「真室川町の木/花/鳥」))、民謡「真室川音頭」の歌詞に起因して制定されたといわれる。

私しゃ真室川の梅の花 コーオリャ
あなたまたこのまちのよ (ハァコリャコリャ)
花の咲くのを待ちかねて コーオリャ
蕾のうちから通って来る (ハァドントコイドントコイ)

②広島県熊野町

 熊野町は筆の産地。梅は古来「好文木」と称され学問を好む木とされ、学問は毛筆によるところが大きく町のシンボルとしてふさわしいとされた、といわれる。
 また、鶯は、町内の野山に多く生息し、文学にも数多く題材として扱われ、筆文化にも関わりが大きいということから、町の鳥として制定された(Webサイト(『熊野町』「まちの行政」⇒「まちの概要」⇒「熊野町の木・花・鳥」))、といわれる。

梅の和歌

難波津の咲くやこの花ふゆごもり
    いまは春べと咲くやこの花(王仁『古今和歌集』仮名序)
【大阪の浪速の地に咲く花だろう、この花は。ずっと冬ごもりしていたが、今は春になったので咲いたのであろう、この花は。花といえば桜であるが、古くは梅であったといわれる】

あおによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は
     咲く花の薫ふがごとく今盛りなり(小野 老(おののおゆ) 『万葉集』3-328)  【小野老が大宰府に行った折に奈良の平城京を偲んで詠まれた和歌といわれる】

春さればまづ咲くやどの梅の花
    独り見つつや春日暮らさむ (山上憶良『万葉集』5-0818)
【梅花の宴で詠まれた和歌の一つ】

春されば木末隠りてうぐひすそ
    鳴きて去ぬなる梅が下枝に (少典山氏若麻呂『万葉集』5-827)
【梅花の宴で詠まれた和歌の一つ。この和歌を由来とする、興味ある鶯の語源説があるが、まったくと言っていいほど知られていない】

鶴ヶ岡八幡宮の初詣時、源氏池近くで梅花の香るを詠む。
梅が花去(い)かんとすれば匂えりて
   しばし佇み思ふ友顔    奥谷 出
【2023年の歌会始めのお題「友」を借用して、以前の初詣時の印象深い体験を詠み直したものである。源氏池の近くに一本の梅の木があった。今もあるかもしれない。去り際にその梅花が目に留まり、しばらく眺めていた。そして、その場を去ろうと一歩を踏み出した途端に、「ぷーん」と「梅が香」が香ってきた。友に呼び止められたような気がして再び佇んでしまった懐かしい体験である】

(出)


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