時候
冬の季語 水仙
個人会員 奥谷 出
語源
「スイセン」という和名は、中国語「水仙」を音読みしたものである。中国で名付けられた名称の「水仙」は、「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という中国の古典に由来する」、という。
水辺に育ち、仙人のように寿命が長く、清らかなという意味から名付けられたとされる(『ウィキペディア』スイセン属)。
原産地と伝来ルート
原産地は主にスペイン、ポルトガルのあるイベリア半島を中心に北アフリカまでの地中海沿岸地域。シルクロードを経由して唐に渡り、平安時代末に日本に渡来したとされる(『ウィキペディア』スイセン属)。
日本の最古の記録として、九条良経(くじょうよしつね、(1169~1206年))が描いた色紙がある(『日本大百科全書』スイセン)、という。
大陸から黒潮や対馬海流に乗って漂着したものが根付いた、という海流漂着説がある。
牧野富太郎の説である。琉球諸島から九州・四国の沿岸に、本州では太平洋側は房総半島まで、日本海側では能登半島の富山湾まで、海辺近くの山地丘陵に野生状態で分布していることが海流で球根が運ばれたと考えた理由とされる(Webサイト『ニッポン旅マガジン』vol.30 水仙の秘密)。
スイセンの自生地越前海岸にも、類似の由来を語る伝説がある。平安末期、木曽義仲の京攻めに従った居倉浦(いくらうら)の山本一郎太は、義仲敗退ののち、帰郷して留守中に弟の二郎太が海で助けた娘に恋慕し、仲のよかった弟と果し合いをする。それを悲しんだ娘は海に身を投げた。翌春、その化身のように海岸に美しい花が流れつく。それがスイセンだったという(『日本大百科全書』スイセン)。
スイセンの学名「Narcissus」は、ギリシャ神話に登場する美少年ナルキッソスに由来する。ギリシャ神話によれば、ニンフのエコーは愛する美少年ナルキッソス(Narcissos)に振り向いてもらうことができなかったので痩せ細り、声だけの存在になってしまう。エコーを哀れんだ女神ネメシスは、池に映った自らの姿に心酔しているナルキッソスをスイセンの花にした(『ウィキペディア』スイセン属)、という。
水仙の名は、ギリシア神話に影響を受けた中国名といわれる(『日本大百科全書』スイセン)。
水仙の3大群生地
日本における水仙の群生地は、一般的に淡路島、越前海岸、南房総・鋸南町の3ヶ所(Webサイト『ニッポン旅マガジン』水仙の日本三大群生地とは)。
- 淡路島
江戸時代後期の文政年間(1818〜1831年)に、紀州から漂着した球根を黒岩の漁師が山に植栽したと伝わる灘黒岩水仙郷、紀淡海峡を一望にする斜面に500万本の水仙が咲く私営の観光花園 立川水仙郷の2ヶ所が代表的な群生地である。
- 越前海岸
越前海岸、なかでも越前岬周辺は、日本海側随一のニホンスイセンの群生地である。越前岬背後の高台に位置するニホンスイセンの畑「越前岬水仙ランド」、日本海をバックに咲く水仙畑という絶景を目にできるのが梨子ヶ平園地、大正10年(1921年)、梨子ヶ平地域に自生していた水仙を名古屋の生花市場に出荷したことから、農家の間で水仙の栽培が本格的に開始されたという梨子ヶ平台地、日本の棚田百選にも選定されている梨子ヶ平千枚田水仙園(以上は福井県越前町)と福井市側の越前水仙の里公園で群生する水仙を鑑賞することができる。
- 南房総・鋸南町
鋸山(のこぎりやま)の南というのが鋸南町の町名の由来であるが、鋸山から南は、上着をひとつ脱ぐことができるという避寒の地。鋸南町には江月水仙ロード、をくづれ水仙郷と2ヶ所の水仙の名所がある。
三浦半島では、横須賀市の北下浦水仙ロード(北下浦海岸道路)や城ヶ島公園の水仙が知られている。
水仙にまつわる和歌や俳句
・和歌 水仙花 ふりかくす雪うちはらひ仙人(やまびと)の 名もかぐはしき花を見るかな (千種有功『千々廼屋集』) 「千種有功は、寛政9~嘉永7年(1797~1854年) 」
わがふるさと相模(さがみ)に君とかへる日の
春近うして水仙の咲く(前田夕暮「『収穫』)
少年は少年とねむるうす青き
水仙の葉のごとくならびて (葛原妙子『をがたま』(1987年刊))
月光は受話器をつたひはじめたり
越前岬の水仙匂ふ (葛原妙子『をがたま』)
白鳥が生みたるもののここちして
朝夕めづる水仙の花 (与謝野晶子『草の夢』)
海鳴りに耳を澄ましているような
水仙の花ひらくふるさと (俵 万智)
【俵万智の故郷は越前海岸である。】
水仙のうつむき加減やさしくて
ふるさとふいに思う一月 (俵 万智)
・俳句
水仙の香やこぼれても雪の上 ( 加賀千代女)
【水仙には雪中花の異名がある】
水仙や寒き都のここかしこ (与謝野蕪村)
初雪や水仙の葉のたわむまで (松尾芭蕉)