小栗上野介シリーズ
小栗上野介秘話
消された「徳川近代」明治日本の欺瞞
最近、『消された「徳川近代」明治日本の欺瞞』(原田伊織)という書籍が小学館から上梓されていることを知った。小学館によると、『明治維新の過ち』で、教科書的な明治維新観に一石を投じた著者が、明治政府によって埋没させられた歴史を丹念にひもとき、歴史の真相に迫ります、と紹介されている。
Webサイトの『明治新政府が無かったことにした「徳川近代」とは何か?【検証 「徳川近代」 原田伊織氏インタビュー 1】(こちら)』には、著者とのインタビュー記事が紹介されている。
- 徳川の時代は300年近く続いたわけですが、その最後のころには、確実に「日本の夜明け」というべき時期があった。それは近代と呼んでも差し支えない期間であったというのが私の歴史の見方であり、訴えたかったことなのです。
思い切り限定しても黒船来航からの約15年は、間違いなく「徳川近代」と言えると思います。
- 明治政府によって文明開化、富国強兵、殖産興業が進められたのは事実です。しかし、そのスタート地点は正しくない。すでに幕末と言われる時代に、すべては始まっていたのです。
- 1868年の明治維新を境に、それ以前は暗黒の時代、それ以後は「日本の夜明け」という歴史像は、明らかに明治政府を構成する、薩長を中心とする為政者がつくり上げたものだと思います。
- 小栗こそは、「徳川近代」を代表する優れた官僚であり、政治家だと私は確信しています。「徳川近代」を支えた幕臣はあまたいますが、なかでも小栗は傑出しています。知力、実践力、交渉力、危機対応力、何れにおいても。並ぶものはいません。
それは当時の記録に明らかです。万延遣米使節としてアメリカに渡ったとき、アメリカの政府高官やメディアが小栗のことを驚くほど高く評価しています。評一切のバイアスが想定できない相手が小栗を高く評価しているのですから、これほど信用できる評価はありません。
正直に言えば、この本一冊、まるまる小栗に紙幅を割いても良かったくらいです。しかし、咸臨丸の渡航や日米交渉の過程に注目すると、どうしても小野友五郎や岩瀬忠震にも触れないわけにはいきません。彼らに比べれば、小栗は近年、いろいろなメディアで取り上げられる機会もあります。相対的な知名度は高い。となると、「徳川近代」を語るためには、やはり小栗だけでなく、小野や岩瀬の功績も取り上げるべきだろうと判断したのです。
と、著者は語っている。
小生は、横須賀市や高崎市倉渕町との縁があることから、リタイア後のライフワークとして、小栗上野介について調査・研究をしたことがある。前橋市の県立図書館や横須賀市の市立図書館にはしばしば通った。
そういう中で、明治は江戸の否定の上に成り立っていることを痛感するようになった。この書は、まだ目を通していないが、否定しなければならない理由を教えてくれそうである。
小栗家は、三河小栗氏という氏族の系譜で、三河時代から徳川氏の前身の松平氏に仕えていた古い氏族である。上野介は、文武に抜きん出た才能を発揮し、14歳の頃には自身の意志を誰にはばかることなく主張するとともに、熟慮断行の人でもあった、といわれる。それ故に秘話も多い。
小栗上野介の事績については近年いろいろ触れられているので、秘話について記してみたい。
(奥谷 出)
下記リストは、その下のページ一覧表の番号と対応させてご利用ください。
- はじめに
- 小栗上野介関連年譜
- 小栗上野介の評価
- 中里介山の小栗上野介に関する論評
- 小栗上野介と渋沢栄一の奇妙な会話
- 小栗家の系譜と小栗姓の由来について
- 「罪なくして斬らる」の由来について
- 陣屋との嫌疑を受けた観音山小栗邸について
- 小栗上野介斬殺の謎
- 小栗椿の由来
- 遣米使節途次の鉄道乗車の故事と株式会社設立