つれずれなるままに
かろうと山古墳散策
かろうと山古墳、この珍しい名前を知ったのは昨年のことである。
『広辞苑』によれば、「かろうと」とは、かろうど【唐櫃】」であり、かろうとともいうとある。意味は、①カラウヅの転で、「からびつ」に同じ、②(屍櫃からひつの意か)棺(ひつぎ)、③墓石の下に設けた石室、である。こういう状況から察すると、山名は古墳にちなんで名付けられた山と思われる。
古墳に至る山道の入口はYRP方面からのトンネル入口の左側にあり、案内板がある。そこから、YRPと粟田団地あるいは岩戸団地との境界をなす尾根を通って北西の岩戸養護学校付近に通じる遊歩道がある。古墳は、その遊歩道沿いにあるが、南東の端という方が解りやすいかもしれない。7世紀頃の古墳は、吉野裕子によると、陰陽五行説に基づき南に作る傾向があったようであり、その説とも符合する。
遊歩道の入り口から20~30メートルほど歩いたあたりに赤い実を付けたアオキの低木があったが、そのあたりから道は急に険しくなる。まるで赤信号である。幸い、晴れた日であったのでよかったが、雨上がりであったりすると滑る。また、マムシに注意の看板もあるので、散策の時期も配慮した方がよい。
山道を登り始めて少し行ったあたりで息切れがしてきて小休止。年のせいでもあり運動不足のせいでもある。ここで気にしてもしょうがないので小休止して再び登り始める。やがて、盛り土をしたような場所に行き着く(上記写真)。その奥に、古墳の案内板がある。長径14m・短径13mの楕円形墳、高さ3mで低いとあるから、その盛り土が古墳の墳頂部なのであろう。
右側の写真は、複数の切石を組み合わせた箱式石棺である。内法で長さ2.5m・幅0.95m・高さ0.66m、県内では屈指の規模という。この切石組箱式石棺は、墳丘の流出や石材の風化による劣化から保護するために埋め戻し盛り土をしている。
金銅製刀装具・弓弭金具*1・金銅装鑿(のみ)状鉄製品・銅製薄版・直刀*2)・刀子*3)・鉄鏃*4などが出土しているが、中でも金銅装鑿状鉄製品は、岡山県に2例・長崎県に1例あるのみで、国内でも出土例が少なく、東日本では唯一のものという。
注の内容は『広辞苑』による。
*1) 弓弭:ゆはず、弓の両端の弓弦をかけるところ。
*2) 直刀:ちょくとう、刀身がまっすぐで反そりを持たない刀。
*3) 刀子:とうす、古代の小型の刀。
*4) 鉄鏃:てつぞく、:鉄製のやじりである。
古墳は、7世紀中ごろの築造と推定されており、7世紀前期以降の三浦半島では古墳に代わり横穴墓が盛行するが、この時期の単独の高塚墳として築造されたきわめて特異な存在という。