天変地異と無常

つれずれなるままに

天変地異と無常

 「無常」、この言葉に出会ったのは小学校5年のときである。
 小学校の図書室に入って何の気なしに取り上げた本が『源平盛衰記』であった。今振り返ってみると、おそらくその本を取り上げるきっかけを与えてくれたものは、入学前に母からもらった一冊の絵本『ときわごぜん』ではなかったかと思う。源氏の総帥、源義朝の妻、常盤御前が義経を抱き抱え、歩く範頼の手を取り、雪道を歩いて行く姿が瞼に浮かぶ。その頃を思い描いても、これ以外に源氏と結びつくものを知らない。

  • 祇園精舍(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声
    諸行無常の響きあり
    娑羅双樹(さらそうじゅ)の花の色
    盛者必衰(じょうじゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす
    奢(おご)れる人も久しからず
    ただ春の夜の夢のごとし
    猛(たけ)き者もつひにはほろびぬ
    ひとへに風の前の塵に同じ

 冒頭の言葉の語呂の良さに感動してすぐに暗唱した。しかし、その後は軍記物の常なのであろうか、あまりの難しさに辟易し数度の挫折を味わうという苦い経験もしている。まず難しい漢字が多い。登場人物は多彩、場所もあちこちに飛び、その中でもまた動き回る。そして時は激動の時期、めまぐるしく展開する。小学生には難しい。大人でも恐らく苦労するであろう。
 それ故、この挫折は、良薬でもあったのかもしれない。国語、地理、歴史、歴史上の人物を憶えることに役立ったように思える。
 『源平盛衰記』における無常は、仏教用語で、「一切の物は生滅・変化して常住でないこと}(『広辞苑』)ということである。

 ところが、同じ『広辞苑』に無常鳥という言葉が見える。意味は冥途にいるという鳥、ホトトギスの異称という。ホトトギスは夜に絹を裂くような鳴き声をたてる鳥として知られており、古代にホトトギスがよく和歌に詠まれているのは、夜に妻の実家を訪う妻問い婚と無縁ではない。そして、この場合の無常は、昼間ではなく夜に鳴く「常でない」鳥という意味が重なっているように思われる。

 ところで、横須賀市に通研通りという通りがある。武1丁目からNTT通信研究所の脇を通って京浜急行のYRP野比駅方面に至る道路である。この通りに無常が起きている。
 通研通りには欅並木があり、2,3Km続いている。師走になってそこを車で通ったところ、欅の木に緑色の丸い、小さなものがポツポツと付いている。何だろうと思って見ると、若葉が芽吹いているらしい。
 最初に見たときには、我が目を疑い車を停めてよく見たが、やはり若葉である。その後、数日して再びその通りを通ったが、欅の8割が芽吹いている。しかも、木の枝全体に芽吹きが見られるものがパラパラと見受けられる。また、一本の木に紅葉した枝と若葉を付けた枝とが混在している、すなわち初冬と早春とが同居している珍しい木もある。これなどは、源氏物語の九条院を彷彿とさせる。さすがに、そんな木立は幾本もない。
 こういう風景の欅並木には、今までに出会ったことはない。まったく常ではない。無常の木である。
 そして、大晦日に通研通りを抜けて北久里浜方面に向かう途中、粟田口のあたりの山を見ると、薄緑のあるいは薄赤い若葉があちこちに芽吹いている。こうなると、もう特定の木を指して無常の木などと言っている場合でもなさそうである。

  • 師走日や若葉芽を吹く無常なり

 そして、1月10日頃、また通研通りを通ると、何んとあの若葉が紅葉し始めている。この寒い時期なので、さぞかしの鮮やかな紅葉を期待したがそれは適わなかった。若葉には鮮やかな紅葉は無理なのであろうか。

(奥谷 出)

 


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