仏法僧と鶯について

鶯に誘われてシリーズ

仏法僧と鶯について

 仏法僧とは仏と法と僧の三宝、すなわち仏教の三つの宝をいう。さとりを開いた人(仏)と、その教え(法)と、それを奉ずる教団(僧)という三つである(『仏教語大辞典』)。
 そして鳥の名前。さらに、ここで新たに提示しようとしていることは、鶯がこの仏教の仏法僧と鳥の仏法僧の両方に関わりをもっていることである。

空海と仏法僧

 鳥の鳴き声を仏教に関連付けて聞きなすことは、平安時代の初期に始まる。空海は、仏法僧という鳥の鳴き声を仏教における三宝、すなわち仏・法・僧に擬えて聞きなしているのである。

  •  後夜(ごや)に仏法僧鳥を聞く

  • 閑林(かんりん)に独座す 草堂の暁
    三宝(さんぽう)の声 一鳥(いっちょう)に聞く
    一鳥声あり 人心(ひとこころ)あり
    声心雲水(せいしんうんすい) 俱(ともに)了了(りょうりょう) (『性霊集(しょうりょうしゅう)』)

 この漢詩を『続野鳥礼賛(ぞくやちょうらいさん)』は次のように解説する。

  •  高野山の静かな林中、暁の草堂に独り坐(ざ)して無我夢想の境地に居る時、どこからともなくブッポーソーと鳴く鳥の声が聞こえる。
     鳥は無心に鳴いているのであろうが、この鳴き声のうちに仏法僧の三宝を悟ったのである。鳥の声と人の心とが、更に山中の雲と川の流れとまったく一つに融け合って、ここに仏の教えをはっきりと悟ることができた。

 鶯は、ホーホケキョの鳴き声の聞きなしによって、仏教と関係づけられているが、それ以前に先駆例として、仏法僧という鳥が仏教と関係づけられているのである。しかも、仏法僧という言葉は、仏教の世界においては、三宝といわれるほど重要視される言葉であり、よく知られた言葉である。その言葉を使って、空海は、鳥と仏教を関連付けてみせたのである。 
 

仏法僧に関する逸話

 ブッポウソウの聞きなしについては、面白い逸話がある。『ウィキペディア』のブッポウソウの項によると、

  •  森の中で夜間「ブッ・ポウ・ソウ」と聞こえる鳴き声は、この鳥の声であると信じられてきたため、「ブッポウソウ」の名が付けられ、三宝鳥の異名も付けられた。しかし、実際のブッポウソウをよく観察しても「ゲッゲッゲッ」といった汚く濁った音の鳴き声しか発せず件(くだん)の鳴き声を直接発することが確認できないため、その正体は長く謎とされた。

という。
 この鳴き声の主がフクロウ目のコノハズクであることが明らかになるのは、空海の死後1100年も後のことである。その経緯は『続野鳥礼賛』の仏法僧問題の経緯に記されている。これには、2つの経緯がある。

 そのひとつが、昭和10年(1935年)6月14日、山梨県の鳥類研究家中村幸雄から鳥類学者内田清之助への「問題の声で鳴いている鳥を撃ち取ったらコノハズクだった」というたよりである。

  •  昨年は御坂山・大菩薩・丹沢の山林・七面山(しちめんざん)等で観察しましたが、御坂山で3回、七面山で2回姿を見ました。近距離過ぎたり、遠すぎたり、又は夜間だったりしたため撃てませんでしたので、今年こそは早く撃ちとりたいと意気込んで居ました。6日に許可証が下りたので、夕刻早速御坂へ上り、以来笛吹川畔・昇仙峡奥・御坂山中神座山(かぐらやま)等と、うちへ寝ることなく活動しました結果、6月12日午後7時20分神座山で打ちとったのです。
     以下に其当時の状況を記しますと、6月12日午後5時申府発、御坂山塊釈迦岳山麓神座山中に入って啼くのを待ちましたが、午後7時15分、百米を隔てた栃の木で啼き始めましたので、直ちに樹下に行って透かして見ました。が、例によって繁みの中に居てさっばり判りません。其中7時16分17分18分となって次第に暗くなりますので、心はいらだちますが如何とも仕様がありません。尚も見詰めて居ますと、フワッと二米位離れたところへ啼きながらとまりかえし再びクヮッと啼き始めたが、終りまで啼かせもやらで急いで一発、渓間(たにま)へ轟かせました。落ちて来たのは紛れもなくコノハズクでした。(『続野鳥礼賛』仏法僧問題の経緯)

 もうひとつが、鳥類学者黒田長禮(ながみち)の仏法僧研究である。

  •  西島勇と云う飼鳥家の飼っていたコノハズクが鳳来寺山からの放送の仏法僧の通りの声で啼くと云う話を聞き込まれ、直ぐ西島氏から其の鳥を借り受け、6月10日から13日迄昼夜に亘り観察された結果、明瞭に仏・法・僧を幾度も啼き続けるのを聞かれたのであった。(『続野鳥礼賛』仏法僧問題の経緯)

 この二つの成果が、6月15日の鳥学会の例会で報告された。内田清之助は「二者時を同じゅうして解決の鍵を得られた事は返す返すも、奇しき縁と申す外ない」と述べている。この例会で、ブッポウソウの名称変更はしないことになったため、俗にコノハズクを声のブッポウソウ、ブッポウソウを姿のブッポウソウと呼ぶようになったのである。

 なお、鳳来寺山からの放送とは、「1935年(昭和10年)6月7日、8日、日本放送協会名古屋中央放送局(現在のNHK名古屋放送局)が、ブッポウソウの鳴き声で有名な愛知県南設楽郡鳳来寺村(現在の新城市)の鳳来寺山でブッポウソウの鳴き声の実況中継を全国放送で行ったこと(『ウィキペディア』仏法僧)を指す。

 ところが、その後、熊谷市の青田縫之助(ぬいのすけ)からの手紙で注意されて分った事として、

  •  一糸(いっし)和尚(仏頂(ぶつちょう)国師)描く処の一軸に「枯木に仏法僧鳥の図」というのがある。明瞭にコノハズクが描かれてある。も一つ、扇面に描いたもので、「柿木仏法僧鳥」というのがある。やはり何う見てもコノハズクだ。三百年も前にコノハズクを声の仏法僧と判断した人があったかと思うと、いまごろ騒ぎを蒸し返して居るのが恥かしくなる。(『続野鳥礼賛』初夏の岩手))

と、内田清之助は語る。

 仏法僧という鳥の鳴き声に掛けて、

  • 後の世も楽しかるべき鳥なれや三つの宝を声に収めて  慈円(『拾玉(しゅうぎょく)集』)

という和歌が見られる(『歌ことば歌枕大辞典』三宝)。慈円は、平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧で、天台座主に四度就任した名僧である。仏法僧という鳥は、実際に後の世に楽しかるべきことを起こしたのである。
 このように見てくると、空海の仏法僧の聞きなしは、『万葉集』における霍公鳥(ほととぎす)の聞きなしとともに、いろいろな聞きなしが現れる先鞭をつけたと思われる。特に、仏法僧の聞きなしは、鳥と仏教とのかかわりの先駆けである。

仏法僧と鶯

 空海は、仏法僧の三宝を一鳥に聞くというが、鶯にも同様のことが行われている。ただし、仏法僧については、三宝を一鳥に聞いたのは空海一人であるが、鶯の場合には、仏・法・僧のおのおのを別人が聞くという相違はある。

 まず、法についてであるが、これは浄土真宗の中興の祖といわれる蓮如(れんにょ)が弟子に諭した言葉が知られている。蓮如は、明応8年(1499年)3月に高弟に辞世の句を残しているが、その中に

  • 空善くれ候うぐひすのこえになぐさみたり、このうぐひすは法ほきゝよとなくなり。されば鳥類だにも法をきけとなくに、まして人間にて聖人のお弟子なり。法をきかではあさましきぞ」(『蓮如上人法語集』空善聞書(くうぜんききしょ))

とある。
 蓮如は、「法ほきゝよとなくなり」といっているので、そのように聞きなしたのであろう。当時、僧は僧兵化し戦に明け暮れ、仏法をないがしろにしていたため、鶯が「法を聞きよ」と言っていると戒めた言葉である。

 次は川柳である。

  • うくひすハ昔のまゝの感應寺  『武玉川』

 谷中感応寺は、はじめ日蓮宗の寺であった。元禄12年に天台宗に改宗させられたが、鶯は変らずほう法華経と啼くという。この川柳は、宗派替えをしても読経の声は変わらなかったことを示していると思われる(岩波文庫『誹諧武玉川 2』)。日蓮宗も天台法華宗も法華経を経本とするので読経の声は変わらないのである。

 その次は西行の和歌である。

  • 鶯の聲にさとりをうべきかは聞く嬉しさもはかなかりけり 西行(『山家集』)

 西行はなぜこのような和歌を詠んだのであろうか?
 その時代、仏教は末法の時代に入ったと言われている。釈迦の立教以来千年(五百年とする説もある)の時代を正法(しょうぼう)、次の千年を像法(ぞうぼう)、その後一万年を末法の三時に分けて、末法の世においては仏法が正しく行われなくなるとする思想である(『ウィキペディア』末法思想)。
 その救済のために鎌倉仏教が起こり、極楽浄土とか成仏(悟り)が求められている。西行は、即身成仏(悟り)を教義とする高野山で修業しており、鶯の声を法華経と聞いて、『法華経』の経典の方便品(ほうべんぼん)の教えを連想したと思われる。因みに、方便品には、「若有聞法者、 無一不成仏」とある。もし法(法華経)を聞くことあらば、成仏せざるということは一つとしてなし」ということが説かれているのである。
 方便品を頭に描きながら、西行は和歌を詠もうとした。鶯の美声を聞けることは嬉しいことではあるが、それを聞いたからといって悟りが得られるのであろうか、得られるはずはない。それで悟りを得たと思うとその嬉しさまで儚くなる。そういうことを考えるのは止めよう、それよりも鶯の美声を楽しむだけでよいではないかと考えたものと思われる。
 これらは「法」ついてである。

 次は僧についてである。
 まずは隠語。法華宗の僧を隠語で鶯ということが知られている(『日本国語大辞典』)。どちらも法華経を唱えるからである。
 しかし、この隠語は、いつ頃生まれたのかについては明らかではない。そのことをついて言っているのであろう。江戸時代の臨済宗の禅僧仙厓(せんがい)は、禅画に、

  • 鶯やいつかたまりし法華宗

と記している(Webサイト『京都GYALLERY 創』)。 

 そして、3つ目は能である。法華経が京都に浸透して行く、同じ時期に世阿弥作の能『東北(とうぼく)』が現れる。演目の「東北」は、和泉式部が出家して住職となった東北院という寺院で現存する。
 東北は陰陽五行説では丑寅、この世とあの世の境界である。丑寅は、季節でいうと、冬と春、この境界を飛び越えていち早く春の訪れを告げるのが鶯であることはよく知られていることである。

  •  見事な梅花の咲く東北院に、東北の僧の一行が到着する。門前の人から「あの梅は和泉式部」という名だと教えられ、眺めていると、ひとりの女が現れ、この梅は「好文木(こうぶんぼく)」「鶯宿梅(おうしゅくばい)」という名で呼ばれるべきだと正し、これこそ和泉式部が手植えした「軒端(のきば)の梅」だと故事を語る。やがて、女は夕べの日に紅く染まった梅の木陰に隠れ、見えなくなる。
     門前の人は、女は和泉式部の霊であろうから、懇(ねんご)ろに弔うことを僧に勧める。僧たちが法華経を読経して供養していると、再び和泉式部の霊が現れ、和泉式部はすでに成仏して歌舞の菩薩となっていることを明かし、生前の仏縁の思い出を語り、また和歌の徳、仏法の有難さを説いて舞を舞う。その後、和泉式部は、色恋になじんだ昔を懐かしむ姿をも見せて恥じらい、暇を告げて方丈の部屋に消えて行く(Webサイト「The能ドットコム」演目辞典)」)。
     この生前の仏縁の中で、法華経の譬喩品(ひゆぼん)を聞いて霊は語る。

    •  生前に御堂の関白(藤原道長)が、この寺の前を通ったとき、法華経の譬喩品を高らかに読まれ、私、和泉式部は、門の外でそれを聞き、
        門の外(そと)法の車のおと聞けば我も火宅を出でにけるかな
      と詠んだことを思い出した。

という。
 火宅とは、譬喩品に出てくる比喩で、「煩悩が盛んで不安なことを、火災にかかった家宅にたとえていう現世」(『広辞苑』)。恋多き女といわれる和泉式部の胸中を表現したものと考えられる。
 前述の方便品で、門外漢が法華経を聞けば成仏するということから、門の外で御堂の関白の読経を聞いた和泉式部は成仏して、今は歌舞の菩薩となっているという。
 この能には鶯は現れないが、梅花を前にして法華経を読経した東国の僧は、「梅に鶯」の喩えから鶯を彷彿させる。そして、法華宗の僧の隠語である鶯も、この時期に名付けられたのではないかと思われる。

 その次は「仏」についてである。
 まずは、葛城山、高間寺の僧の伝説である。『曽我物語(日本古典文学大系)』に、鶯・蛙(かはづ)の歌の事として、

  •  さても、花になく鶯、水にすむ蛙(かはづ)だにも、歌をばよむ物をといひけるは、人皇八代の御門(みかど)孝元天王の御時、大和国の葛城山、高間寺という所に、一人の僧ありけるが、又となき弟子を先だてて、ふかくなげきゐたり。つぎの年の春、かの寺の軒端の梅の木ずゑになく鶯の声を聞けば、「初陽毎朝来(しょようまいちょうらい)、不相還本栖(ふそうげんほんせい)」と鳴きける。文字にうつせば、歌なり。

      初春の朝(あした)ごとにはきたれどもあはでぞかへるもとのすみかに

    と、鶯のまさしくよみたる歌ぞかし。

と記される。
 この和歌は、亡くなった若い弟子が鶯となって、初春毎に毎年訪ねてくるが、会わずにもとの棲家に帰るという意味であり(『古今和歌集全評釈』)、成仏した若い僧を扱っていて仏が関わってくるのである。

 次は、江戸時代初期の『犬子集』の俳諧である。

  • 霊山(りょうせん)で聞く鶯やいきぼとけ  正直『犬子集』

 霊山は京都東山三十六峰のひとつ。句はそれに釈迦説法の地霊鷲山(りょうしゅせん)を掛ける。霊山で法法華経と鳴く鶯を、霊鷲山で説法する釈迦に見立てる(日本古典文学大系『初期俳諧集』犬子集)、という。

 以上のように、鶯一鳥に三宝のすべてが関わっていることを見ることができるのである。いろいろな場面で鶯が詠われているのは、鶯が日本全国のあちこちにいるという分布上の特質によるのであろう。

 そして、最後に、鳥の仏法僧と鶯との関わりについて見ることにしたい。
 江戸時代後期、江戸に咲いた文化と言われる化政文化の時代に現れた仏教の三霊鳥の狂歌。その中で霊鳥の鳴き声の競い合いが展開される。

  • 慈悲心も仏法僧も一声のほう法華経にしくものぞなき(蜀山人『蜀山百首』)

 慈悲心はジュウイチという鳥の聞きなしで異名は慈悲心鳥(『広辞苑』)、仏法僧はコノハズクの聞きなしで声の仏法僧という異名をもつ(『ウィキペディア』「コノハズク」)。それに鶯。ときには「法華経」の異名で呼ばれることもある。それらの中でも、高く澄んだ陽気な美声、鶯の一声に勝るものはないという。

 そして、『雨月物語』には、

  • ブッパン(仏法)、ブッパン(仏法)

と、声の仏法僧が鳴くとある。仏法僧の別の聞きなしである。鶯も「法をききよ」と聞きなされている鳥であり、どちらも仏法に関わる鳥である。

(奥谷 出)


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