季語とウグイス
季語では、鶯は春のもの。春過ぎて鳴くウグイスは、老鶯・晩鶯・残鶯・乱鶯・夏うぐいすなどという。時季によって使い分けるという特徴をもつが、考えてみれば不思議なことでもある。
『枕草子』41段 「鳥は」は、
- 夏秋の末まで老い声に鳴きて、虫くひなど、良うもあらぬものは名をつけかへて言ふぞ、くちをしくすごき心地する。それもただ雀などのやうに、常にある鳥ならばさも覚ゆまじ。春なくゆゑこそはあらめ。
という。「夏秋の末まで鳴くから「むしくひ」といわれるのだ。それも春鳴く鳥だからであろう」という。これも不思議な一節である。
ところが、『平家物語』厳島御幸において、新院の高倉上皇が安芸の厳島神社に御幸する折に、鳥羽院に事実上幽閉された状態にある後白河法皇を尋ねる一節がある。(高倉天皇は、子であり、平清盛の孫にあたる安徳天皇に皇位を譲って上皇となった。)その中に「梢の花色衰へて、宮の鶯こゑ老ひたり」と記されている。これは暮春の情景の描写の一部であり、「鶯が老いる」という表現を暮春のものとして扱っている。これからわかることは、『平家物語』が書かれた頃には、「鶯が老いる」という表現は夏のものではなかったということである。
何故なのであろうか。これらの謎を解く鍵は、中国にある。中国では、老鶯・晩鶯・乱鶯・残鶯は晩春あるいは暮春のものといわれ、その理由を求めると、陰陽五行説という思想に辿り着く。陰陽五行説では、
- 春を初春・仲春・晩春の3春に分け、春のものは初春に生まれ、仲春に盛んになり、晩春に老いて死んでゆく。
- 春のものは、春の終わりには消えてなくならないと、自然界における四季の正常な輪廻循環ができなくなり、五穀豊穣が達成されない。
といわれている(『吉野裕子全集』)。正常な輪廻循環は、為政者にとっては重要な問題だったのである。それゆえに天子は春には東方に春を迎えに行くという迎春祭祀あるいは迎春呪術が行われていたのである。夏・秋も同様である。
この思想によると、春のものである鶯は晩春あるいは暮春には消えてなくなる必要があり、老鶯とか残鶯という特別な用語が作られたものと思われる。
余談であるが、土用という言葉がある。この言葉は、陰陽五行説では四季のそれぞれの季の最後に配置され、それぞれの季の勢いが弱いときには強くするように作用し、強すぎるときには弱めるように作用する、コントロールの役割をもっていた。例えば、陰陽五行説では、冬は水気、春は木気であり、冬の水気が強すぎると、春に持ち越し水害で木を根こそぎにするという水難が発生すると考えられたのである。土用にウナギを食べるのはその名残りである。
このことから、『枕草子』を振り返ると、その謎が解ける。すなわち、鶯を中国伝来通りに春のものと解釈すると、夏や秋に鳴いているウグイスの呼称に事欠く事態が生じるのである。恐らく清少納言はそのことを早い時期に察知して「むしくひ」という用語を用いたのであろう。「むしくひ」は、『ディジタル大辞泉』によれば、「虫が食うこと、またそのあと」とある。黒ずんだシミができる老いの状態をイメージしたものと思われる。なお、「むしくひ」は老いた鶯のこと(『ディジタル大辞泉』)とあり、今は老鶯と同じ意味で用いられるが見ることはほとんどない。
一方、『平家物語」は、中国伝来通りに晩春のものとして解釈したのである。なお、宮の鶯は、宮中の庭園にいる鶯であり鶯の異名であるが、『広辞苑』には見当たらない。すでに死語となっているのかもしれない。
老鶯を夏のものとしたのは芭蕉だといわれる。芭蕉に次の句がある。
うぐひすや竹の子藪に老いを鳴 芭蕉「炭俵」
この句で、芭蕉は老いを鳴く時期を藪に竹の子が生える時期としている。竹の子は初夏の風物である。こうして、「鶯が老いる」という表現は夏およびそれ以降に変わり、中国での理解と異なっていくのである。
また、注意して見直すと、「うぐひす」と漢字ではなくかな書きもしている。漢字の鶯を避けたものと思われる。その理由は2つあるように思う。一つは、「鶯」は春の季語であるから避けたということである。もう一つは、江戸時代に貝原益軒が言い出したことであるが、「鶯」の漢字をうぐひすに当てるのは間違いであるということである。貝原益軒をはじめ、新井白石、石川丈山などは、その考えを徹底して「鶯」の漢字を使用するのを避けていた。しかし、それらの人々は、それぞれ異なる漢字を用いて混乱を深めたためか、後には非難される憂き目にあっている。それ以後、鶯という漢字はそのまま用いられている。「鶯」に限らず、誤って使われている漢字は他にも存在するという事実もある。
ところで、老鶯とは、年をとってよく鳴けない鶯と考える向きもあるが、そうではない。春を過ぎて鶯の鳴き声は一段と成熟して美声になっていく。この老とは、旧暦の新年、すなわち立春からの時間の経過を指す言葉だといわれる。そのため、春過ぎて鳴くものは春のものより老いていると考えたものと思われる。
人は新年に一年間のお年魂(命)を祖霊神からもらい、時間の経過とともにお年魂の余命が減ってゆき、余命が尽きる頃に再び祖霊神から新しいお年魂をもらうと考えられた時期があったといわれる。この古い信仰から「老」を説明することもできる。
さて、ここで夏うぐいすに立ち返ろう。夏目漱石の句に次のものがある。
ひとりきくや夏鶯の乱鳴 『夏目漱石俳句集』
ここで、乱鳴とは「乱れ鳴く」ことであり、乱鶯に連なる。中唐の柳宗元の漢詩「柳州二月榕樹葉落尽偶題」に
宦情 覊思 共に凄凄たり
春半ばにして秋の如く 意 転た迷う
山城 雨過ぎて百花尽き
榕葉 庭に満ち 鶯乱れ啼く
とある。乱れ鳴くとは、しきりに鳴くあるいはあちこちで鳴くという解釈をWebサイトでは見られ定かでない。