鶯神楽の由来について

鶯に誘われてシリーズ

鶯神楽の由来について

鶯神楽(うぐいすかぐら)という雅やかな名前の植物がある。
スイカズラ科の落葉低木。高さ約2メートル。山野に自生。枝が多く、葉は長さ約5センチメートルの楕円形。春、葉と共に開く花は淡紅色、漏斗状で先端5裂。初夏にグミに似た液果が赤熟し、甘い。ウグイスノキ、アズキグミともいう(『広辞苑』鶯神楽)。

ウグイスの木の異名の由来について

鶯神楽については、平安時代の『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』に、

  • 漢語抄に、アウ実 ウグヒスノキノミと云ふ。

とある。
この漢語抄は『楊氏漢語抄』といい、奈良時代に編纂されたもの(『世界大百科事典』)、である。
「アウ実」の「アウ」は呉音、漢音は「オウ」。「アウ実」は鶯実でもよいが、『倭名類聚抄』ということを考えれば鸎実であろう。鸎は、『詩経』小雅・伐木篇の「鳥鳴くこと嚶嚶たり」の「嚶」、すなわち鳥の鳴き声から漢代に作られ、鳥の名前として唐代に定着したといわれる漢字であり、うぐいすの別漢字である。因みに、『万葉集』には、鶯、鴬、鸎の3つの漢字が存在し、さらに宇具比須などの万葉仮名も存在し、多様性に富むがその不思議さも残す。
このように見てくると、すでに飛鳥・奈良時代に、ウグイスの木という鶯神楽の異名は存在していたことがわかる。

何故ウグイスの木と呼ばれていたのであろうか。
江戸時代の貝原益軒の本草書『大和本草』に、

  • ウクヒスの始めて啼く時に此花もさく故に名つけにしや

とある。
この木の花は、鶯が鳴き始める時期に咲くので名付けられたという。しかし、この木だけが何故ウグイスの木と呼ばれるのであろうか。それを解く鍵が漢語抄に暗示されているように思われる。
すなわち、漢語抄では、実を主体にした名前を記しており、木より実に着目していると思われる。そのことは、鶯がその実を啄むためにその木に飛来していたことが知られていたからであろう。それ故にウグイスの木と名付けられたのかもしれない。
なお、鶯の食性は雑食だが、夏場は主に小型の昆虫、幼虫、クモ類などを捕食し、冬場は植物の種子や木の実なども食べる(『ウィキペディア』鶯)。
庭の梅の木にリンゴを刺しておくと、多くはメジロや雀の餌になってしまうが、ときたま鶯が啄んでいるのを見ることがある。また、メジロや雀のように梅の木に直接舞い降りるようなことはしない。山茶花の垣根を木伝いして梅の木の近くまで行き梅の木に飛び移る。

ウグイスカズラの異名の由来について

鶯神楽の異名に、ウグイスカズラ(鶯鬘、『デジタル大辞泉』)がある。
『世界大百科事典』によれば、カズラは、

  •  つる草の総称。ヒカゲノカズラ,テイカカズラ,スイカズラ,サネカズラなどはその例である。上代つる草を髪に結んだり,巻きつけたりして頭の飾りとし,これを鬘(かずら)といった。そのためつる草を〈かずら〉と称するようになったという。
    鬘は〈髪つら〉の略,〈髪つら〉の〈つら〉は〈つる〉の古名で,長く連なるので〈つら〉といったものらしい。ただし,のちにはつる草に限らず,ヤナギ,タチバナ,サクラ,ウメ,ユリ,ショウブ,ムラサキグサ,イネ,藻などの植物も鬘に用いられた。

という。『広辞苑』では、蔓草(つるくさ)のほかに花なども頭の飾りとした、という。
万葉の時代の頭の飾りには、髪に結んだり,巻きつけたりするカズラのほかに髪に挿すカザシ(挿頭)という方法もあったことが知られている。

梅の花の咲く庭園に美しく枝垂れる柳の枝をカズラにした例が『万葉集』に見られる。次の和歌は、天平2年(730年)正月13日に大伴旅人の邸宅で開かれた梅花の宴で詠まれたものである。

  • 梅の花咲きたる園の青柳は蘰(かづら)にすべくなりにけらずや 少貳粟田大夫『万葉集』五-817
  • 梅の花咲きたる園の青柳を蘰にしつつ遊び暮らさな 小監土氏百村『万葉集』五-825

ウグイスカズラは鶯の頭の飾りであろうか。ウグイスノキという異名は花の咲く時期から名付けられたといわれるので、ウグイスカズラは花飾りに語源があるのではないだろうか。淡紅色、漏斗状で先端は5裂の可憐な花であることも飾りに向いていると思われる。鶯がこの茂みの中に入ると、花の咲く細い枝が鶯の頭に巻き付いたように見え、その様子をウグイスカズラにたとえたのではないだろうか。

鶯神楽の由来説について

さて、鶯神楽の名前の由来について見ていくことにしよう。
ウグイスカグラという名について、『牧野新日本植物図鑑』には

  • 恐らく鳥の鶯に関係あろうがはっきり分からない。

とある。Webサイトで探してみると、名前の由来については、いくつかの説が見られる。それらを次のように3つに分類し、体系的に記してみる。

  1. ウグイスガクレの転訛説
  2. 鶯の振舞いを神楽舞に喩える説
  3. 鶯狩座(うぐいすかくら)説
(1)ウグイスガクレの転訛説
 『広辞苑』は、古名ウグイスガクレが転訛したものと記す。
枝が多く、従って鶯がその茂みに隠れるにはちょうど良いのかもしれない。鶯神楽ではなく梅について詠まれたものであるが、『万葉集』には、梢に隠れて鳴きながら下枝に飛び移って行く姿が見られる。

  • 春されば木末(こぬれ)隠れて鶯そ鳴きて去(い)ぬなる梅が下枝(しづえ)に
    少典山氏(さんしの)若麿 『万葉集』五ー827

このウグイスガクレの古名の背景には、前述の隠れて姿をなかなか見せてくれないという鶯の特性とともに、飛鳥・奈良時代に編纂された記紀神話のうち、天照大神の天の岩戸隠れ、天の鈿女(うずめ)の舞があると思われる。

(2) 鶯の振舞いを神楽舞に喩える説
 「かぐら」の語源は「神座」(かむくら・かみくら)が転じたとされる。神座は「神の宿るところ」「招魂・鎮魂を行う場所」を意味し、神座に神々を降ろし、巫・巫女が人々の穢れを祓ったり、神懸かりして人々と交流するなど神人一体の宴の場であり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったとされる。古事記・日本書紀の岩戸隠れの段でアメノウズメが神懸りして舞った舞いが神楽の起源とされる。アメノウズメの子孫とされる猿女君(さるめのきみ)が宮中で鎮魂の儀に関わるため、本来神楽は招魂・鎮魂・魂振に伴う神遊びだったとも考えられる(『ウィキペディア』神楽)。
原始信仰から分離して神楽の様式が完成したのは平安中期(『ウィキペディア』神楽)、という。この時期は、それまでの律令国家体制から新しい王朝国家体制への転換期とされる(『ウィキペディア』平安時代)。
最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』はすでに成立しており、紀貫之の仮名序の歌論の中で鶯は「花に鳴く鶯」と喩えられ、王朝国家の中で鶯を愛でる文化が深耕されて行く時期である。
しかし、鶯の振舞いを神楽舞に喩える説が、この時期に存在したという文献は見つかっていないといわれる。Webサイト『別府街角ウォッチング』の「草木名の話」によれば、

  • 江戸時代後期の1775年に刊行された『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』では、ウグイスカグラを「ウグイスノキ」と呼んでいる。
  • 幕末の1856年に刊行された『草木図説』では、これがウグイスカグラに変わっている。ウグイスカグラの初出である。

、という。今のところ、この幕末説が最も確かな説と思われる。そして、そのとき、「ウグイスガクレ」がウグイスカグラに転訛したのであろう。

この説はさらに2つに細分される。

  • 木伝いする振舞いを神楽舞に喩える説
  • 実を啄む振舞いを神楽舞に喩える説

(1)木伝いする振舞いを神楽舞に喩える説

木伝い(こづたい)とは、「木の枝から木の枝へ沿って移る」こと(『広辞苑』)、をいう。『万葉集』には次の和歌があり、万葉の時代から伝わる鶯の特徴的な振舞いのひとつである。

  • いつしかもこの夜の明けむうぐひすの木伝ひ散らす梅の花見む 『万葉集』十-1873
  • 袖垂れていざわが苑に鶯の木伝ひ散らす梅の花見に 藤原永手『万葉集』十九-4277

袖垂れてとは、鶯が飛翔するときの翼の様子を示している。

Webサイト『広島の植物ノート』の「ウグイスカグラの由来」は、次のような興味深い由来説を展開する。、

  •  中国山地で普通に上演されている農村神楽を見慣れた者から見れば、細い枝が入り組んだ場所で足を使って跳びはねるウグイスの動きと、神楽のクライマックスである立ち廻りの動きは実に良く似ている。
    何しろ、せいぜい2~3間の狭い舞台の上で敵味方2名、時には4・5名が戦うのだから、刀や体がぶつかってしまう。そこで、各々がその場でくるくる回ることで、激しく戦っているという「お約束」になっている。フィギュアスケートに負けないほど速く回れば、拍手喝さい。つまり、「神楽」を見慣れたものにとって、ウグイスカグラの名は、理屈抜きに納得できるのだ。

これは、枝の多い鶯神楽の枝を木伝いしながら舞い飛ぶ姿そのものであると思われる。このように、注意深い観察に基づく由来説は、否定することは難しく定着して行くものであろう。

Webサイト『別府街角ウォッチング』の「草木名の話」では、岩戸神楽に見立てる展開をしているが、鶯については「木伝い」の振舞いを前提にしたものである。

  • ウグイスカグラとは、早春、春告げ鳥である鶯が本樹の木陰に飛んできて、枝から枝へ飛び跳ねながら古式ゆかしい岩戸神楽を舞っている、と見立てて命名された名前である。
  • 歌舞伎の鳴り物・岩戸神楽は、通常、太鼓のドンドロドロ・・・という音で始まり、これを、俗にドンドロと呼びならわす。面白いことに、植物ウグイスカグラの方言に、ドンドロというのが三重(亀山)にある。これは言うまでもなく、ダンマリで奏される「岩戸神楽」の効果音である。方言では「神楽」のことを、鳴り物の擬音「ドンドロ」で呼んでいたのだ。「カグラ」すなわち「ウグイスカグラ」の方言が見当たらなかったのも当然である。ウグイスカグラは、名前を変え、誕生していたのである。
  • ウグイスカグラの方言は、ドンドロだけに止まらない。同じ三重県の鈴鹿地方から、「ドンドログミ」と「ドンドイチゴ」という方言が採取されている。これはあきらかにウグイスカグラの赤熟した果実を意識した名前である。

この説は、歌舞伎の鳴り物・岩戸神楽で使う太鼓の音「ドンドロ」という効果音と同じ名前の鶯神楽の方言が三重県に存在するとして、神楽と鶯神楽との関連付けをしているところに新規性が見られる。
それから、鶯神楽と名付けれたのが幕末であるということについて、幕末に黙阿弥という歌舞伎の脚本家がいたことと関連付けて調査をしてみたい。黙阿弥は、鶯の「ホーホケキョウ」の鳴き声を「一期の別れ」と喩えた脚本を書いているのである。

(2)実を啄む振舞いを神楽舞に喩える説

Webサイト『四季の山野草』のウグイスカグラの項では、

  • この実をウグイスがついばむ姿が神楽を踊っているように見えることが名前の由来とも言われている。

という。
Webサイト『桜草数寄』の「ウグイスカグラの名前の由来」にも、同じ説が記されている。しかし、「木伝い」のような、よく知られた用語との関連付けができないので、これ以上の展開は控える。

(3) 鶯狩座(かくら)説
『植物和名の語源研究』は、上記の「鶯隠れ説」などを紹介しつつ、「鶯狩座説」について次のように説く。

  •  私はこれらの説とは別の考えを持っている。すなわち、ウグイスカグラは、「ウグイスかくら(狩座)」の転じたものではないかという解釈である。「かくら」は、狩をする場所、つまり「狩りくら」の訛ったものである。
    この木には、花のころに限らず、実のなるころにもいろいろな小鳥が寄ってくる。ウグイスジョウゴの異名もあるくらいだから、とくにウグイスがこれを好んだらしい。だから、もち竿や網を使ってウグイスを捕らえるには、この木はもってこいの場所になる。したがって、猟場を意味する『かくら』の語を添えウグイスカクラと称したのが、転じてウグイスカグラとなったのではないだろうか。このように考えると、この木の別の方言名であるゴリョウゲも「御猟木」と解され、つじつまが合うような気がする。

という。
一方、Webサイト『別府街角ウォッチング』の「草木名の話」では、これに否定的な見解を示している。

  •  ウグイスカグラはウグイスカクラ(狩座)の転だという。「カクラ」は猟場、狩場の意。この木は、花ばかりか実もなり、多くの小鳥が集まり、ことに鶯を捕まえるのに格好の場所とされるところから、この木がウグイスカクラと呼ばれ、それが転じてウグイスカグラになったという。
    この「鶯狩座説」は説得力があり、かなりの支持を集めているようだが、この説には、次に述べるような無理がある。

    1. ウグイスカグラの木陰が「鴬の猟場」と見なされていること。
      一般に狩猟という場合は、鷹を放ち、弓矢を用いて獣を狩ることをいう。たかだか鴬一匹をトリモチなどで捕まえるのを、ふつう「狩猟」あるいは「狩り」とは言わないし、灌木であるウグイスカグラの木陰を「猟場」と呼ばない。
    2. ウグイスカグラの方言「ゴリョウゲ(御霊気)」を「ゴリョウギ(御猟木)」の意に解していること。
      リョウゲ(御霊気)は、既に世間で定着した成語である。リョウゲは、いわゆるモノノケのこと。幽霊とか、怨霊といった化け物をいう。そのリョウゲ(御霊気)にゴ(御)のついた“ことば”である。これをゴリョウギ(御猟木)の意とし、強いて「猟」に関連付けるのは付会といわざるをえない。

私も、この説には否定的である。理由の一つは、鳥もちなどを使って小鳥を捕る職人は「鳥刺し」と呼ばれていたことが、室町時代の『三十二番職人歌合』で知られていることである(『ウィキペディア』鶯飼い)。
2つ目は、次の三月スコ鳥という鶯の異名が関係する。この異名には二通りの解釈がある。

  1. 一つは、春の3ヶ月を過ぎて鳴く鳥の意であり、老鶯と同じ意味をもつ。時鳥にも同じ異名がある。これは鶯狩座説との関連はない。
  2. もう一つは、スコに巣子の漢字を当てるものであり、これは飼い鶯の捕獲の方法を説明しているものと思われる。すなわち、孵化して3ヶ月経った雛を巣ごと捕獲して持ち帰るというものである。そして、すり餌を与えて飼育するのである。このことは、鶯狩座説と矛盾する。
    なお、鳴合せのために、付子(つけご)といって、仮親が鳴く音を練習させる方法もあった(『ウィキペディア』鶯)。

そして、3つ目は南北朝時代に詠まれた鶯合せの連歌の付句(つけく)が関係する。

  • 鶯のこがひ巣立ちを鳴きあはせ 佐々木道譽『菟玖波(つくば)集』

飼育した鶯を持ち寄って、鳴き声の優劣を競わせる遊びである「鶯合せ」に、子飼いの鶯を巣立ちさせて競わせようとしているのである(『大歳時記』)。これも、前記の巣子とも関係し、巣子捕りした鶯を子飼いしていることを示すもので、鶯狩座説と矛盾する。
なお、佐々木道譽は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将、守護大名。ばさらと呼ばれる南北朝時代の美意識を持つ婆沙羅大名として知られ、『太平記』には粋に振舞う導誉の逸話が多く記されている(『ウィキぺディア』佐々木道譽)。また、鶯飼いをしていたことも『太平記』を通して知られている。

以上の説を踏まえて推論すると次のような展開になるであろう。

  1. アズキグミとも呼ばれる液果を食べにくる鶯がいることが飛鳥・奈良時代には知られていた。
  2. その様子は外からは見えず隠れている。それに天の岩戸隠れに照らしてウグイスガクレという名称を付ける。
  3. 平安前期に『古今和歌集』が成立し、仮名序の中の歌論で「花に鳴く鶯」と記され、雅の象徴となる。
  4. 平安中期になると神楽が成立する。宴会等で見慣れるようになり、鶯が木伝いしながら舞い飛ぶという振舞いが神楽舞いに喩えられるようになる。
  5. 幕末頃に、ウグイスガクレが神楽の影響を受けてウグイスカグラに転訛される。

ウグイスカグラと記された、より早い時期の文献が発見されることを期待し、また探す努力も続けたい。

(奥谷 出)

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