鶯に誘われてシリーズ
梅の花笠について
佐保路は、東大寺の転害門から西の法華寺にいたる一条通り、平城京の南一条通りが今に残る。大伴坂上郎女、大伴家持、笠郎女、藤原麻呂など、貴族たちが豪邸をつらね、『万葉集』に鮮やかな感性を記した歌人たちも往来した道である(Webサイト『奈良市』「No.21 一条通から転害門への眺望」)。
- わが背子が見らむ佐保道(さほぢ)の青柳を
手折(たを)りてだにも見むよしもがも 大伴坂上郎女『万葉集』八‐1432 - うちのぼる佐保の川原の青柳は
今は春へとなりにけるかも 大伴坂上郎女『万葉集』八‐1433
これらの和歌を見ると、佐保路だけでなく佐保川の川原にも柳があったことが窺われる。また、各貴族の庭園には、『万葉集』で知られるように梅の木が見られたものと思われる。そして、春になると、一帯では谷間に鶯の鳴く声が聞こえたようである。佐保路の春には、「柳に鶯」、「梅に鶯」の光景が見られたものと思われる。
- 今もなほ妻やこもれる春日野の若草山にうぐひすの鳴く 中務卿親王『夫木和歌抄』
- すたつともみゑぬものから鶯の山のいろいろふみも見るかな 『宇津保物語』
平城京の東、佐保路の北側に佐保山がある。その山に宿る神霊佐保姫は春を司る女神といわれる。陰陽五行説では、東は季節でいうと春、そのために春の女神と呼ばれるようになった(『ウィキペディア』佐保姫)。
秋に木々を紅に染める「竜田姫」に対し、佐保姫は、柳の糸を染め、霞の衣を織り、梅の花笠を縫い、桜を咲かせる女神として詠われている(『大歳時記』)。
柳の糸を染めて縫い上げる梅の花笠は、佐保姫の縫い物である。
『古今和歌集』に、梅の花笠は次のように詠われる。
- 青柳を片糸に撚りて鶯の縫ふてふ笠は梅の花笠
この和歌は、「神あそび」の歌に分類される。下記に述べるように、梅の花笠は頭飾りの一種であり、神の依代にも挿した花であるために神遊びに分類されたのであろう。
青柳を片糸にして撚った糸を使って鶯が縫うと言われている笠はまさに梅の花笠といわれるものである。ここで、梅の花笠は鶯の縫い物ともなる。鶯が、嬉々(きき)として、梅の花から花へ飛び移って行く様子を、青柳を片糸にして梅の花笠を縫い上げていると、美しく見立てている(『古今和歌集全評釈』)。梅の花笠は、梅の花の形を鶯の笠に見立(みた)てた言葉であり、花の生気で活力をえる不老長寿のシンボルである。
また、このような鶯の動作は、「木伝(こづた)い」、「流鶯(りゅうおう)」などと呼ばれている動作であり、「鶯梭(おうさ)」または「雁字鶯梭(がんじおうさ)」という漢詩などで使われている言葉も、このような鶯の動作を示す言葉である。
この和歌は、当時の歌謡である催馬楽(さいばら)として、次のように歌われていた(『古今和歌集全評釈』)、という。
- あをやぎを かたいとによりて や おけや
うくひすの ぬふといふかさは おけや
うめのはながさ や
『梁塵秘抄口伝集』によると、平安時代末期の仁安4年(1169年)2月の7日か8日頃は京都も大雪が降ったとある。後白河院とそのとりまきたちは、賀茂下社へお参りに行き、そのあと、今様や催馬楽に興じ、梅の花笠を歌ったことが記されている。
梅の花笠は鶯の笠ともいわれ、『古今和歌集』に次のように詠われる。
- 鶯の笠にぬふといふ梅の花
折りてかざさむ老(おい)隠(かく)るやと 東三条左大臣 源常(みなもとのときわ)
梅の花を折って詠んだ歌である。鶯が青柳を使って縫い上げて笠にするという梅の花を私も折り取って髪に挿(さ)そう。その笠にあやかって老いが隠れるかもしれないと思って…。梅の花の生気にあやかりたいと、髪に挿して歌い戯れた歌であるという。
梅の枝もしくは梅の枝を挿した花笠を持って、新春に舞う翁の姿が想像されるといい、前の歌を本歌として詠ったものである。
かざし(挿頭花)は、神の依代(神霊の寄りつくもの)、頭髪または冠に挿した花で、花の生気によって不老長寿をもたらすものとされ、不老長寿のシンボルであるという(『古今和歌集全評釈』)。
植物を巻きつけたり挿したりしてその生命力を吸収して生気をうることを感染呪術(『ウィキペディア』)、というが、この時代にはすでに戯れとなっている。
『万葉集』にも、
- 梅の花今盛りなり思ふどち
挿頭(かざし)にしてな今盛りなり 葛井(ふじゐ)大成『万葉集』
など、多くの挿頭歌がある。
そして、『伊勢物語』では、鶯の笠を雨傘に喩えるようにもなる。
- むかし、男、梅壺より雨にぬれて、人のまかりいづるを見て、
うぐひすの花を縫ふてふ笠もがなぬるめる人に着せてかへさむ - 女の返し、
うぐひすの花を縫ふてふ笠はいなおもひをつけよほしてかへさむ
ぬるめる人とは雨に濡れた人をいう。返しの歌は、鶯の笠はいらないが、貴方の思ひで火をつけて衣を乾して返してくださいという意味である。「思ひ」の「ひ」には「火」が掛けてある掛詞である。
鶯の笠は梅の花であるが、次の句では椿の花である。「椿に鶯」の取り合せという珍しい光景である。
芭蕉は、元禄3年(1690)2月6日に、伊賀上野の西島百歳亭を訪れ、詠んだ句である。。
- うぐひすの笠落としたる椿かな 芭蕉『猿蓑』
鶯は古来梅の花を縫って笠に仕立てる。百歳の家を訪れると、鶯の声が聞こえ、庭には椿の花が咲き競い、木の下には無数の椿の花が落ちていたのであろう。この椿の花は、鶯が落とした笠なのであろうとして詠んだものと思われる。
椿の花は、梅の花と異なり大輪であるゆえにそれ自体で鶯の笠になるであろう。鶯は縫う必要はない。そして、鶯のもう一つの役割は花を散らすことであるが、椿の花は梅の花のように、花びらが舞い散るわけではない。ポタリと花が落ちる。そういう情景が鮮明に描かれている。