禅と鶯


禅と鶯

 
 最近、「鶯 法」でインターネットを検索していたら、珍しいものが検索された。

   鶯や釋迦より先の法の聲  『禅林世語集』

という句である。
 出典の禅林世語集とは、禅の言葉を世間の言葉で記したものだという。この句は、どちらが先かの禅問答なのであろう。

 この句にあるように、鶯という鳥は釈迦より先に出現していることは明らかである。また、江戸時代初期の俳諧集『犬子(えのこ)集』に次の俳諧が記されている。

   生まれながら知(しる)鶯や法(のり)の声

 鶯は生まれながらにして法の声を知っていると詠っているのである。そう考えると、『禅林世語集』の句は、正しそうである。
 しかし、鶯の鳴き声は本当に釈迦より先なのであろうか?

 小鳥の鳴き声は、聞きなし、すなわちさえずりなどの節まわしをそれに似たことばで置き換えて聞きとっている(『広辞苑』)のである。
 鶯は、「経読鳥」あるいは「経読む鳥」という異名からも知られるように、その鳴き声「ホーホケキョ」は「法法華経」という漢字が当てられ、仏教の法華経から生まれた鳴き声である。法華経という経典が存在して初めて鶯の鳴き声は存在するのである。
 また、仏教には「三宝」という言葉があるが、この言葉は、仏教における「仏・法・僧」と呼ばれる3つの宝物を指し、仏(釈迦)と、法(その仏の説いた教え)と、僧のこと(『ウィキペディア』三宝)、である。この三宝の「法」が「ホーホケキョ」の「ホー」に当てられたのである。

 しかし、いきなり、「ホーホケキョ」と聞きなしたわけではない。最初の聞きなしは「ホケキョ」だけである。堤防決壊は大蛇の祟りであり生贄が必要というお告げに、自ら応じた少年が自刃する前に詠んだ辞世の和歌に記されている。室町時代前期のことである。
 「ホー」の前句も然りである。室町時代後期に浄土真宗の中興の祖といわれる蓮如(れんにょ)は、高弟から見舞いとして贈られた鶯を見て、鶯は「法ほきゝよとなくなり」と言って、仏法がなおざりにされている世相を諫めたことが知られている(『空善聞書』)。
 釈迦がなくなり、僧がその役割を果たさなくなり、仏法だけが残っている時代は末法の時代といわれ、日本は平安時代に末法の時代に入ったといわれている。僧は僧兵化して勤めを果たさなくなっていたのである。蓮如はそのことを憂いたのである。
 その後まもなく他界したので、この言葉は辞世の句として残されている。そして、その時、忘れられていた「法」が再認識されたものと思われる。江戸時代に、鶯は仏法を唱える鳥という風潮があったようであるが、それも蓮如に一因があるのではないかと思われる。

 「法」の再認識によって、「ホーホケキョ」の聞きなしへの展開となるのであるが、これも、2度目の聞きなしで「法」らしくなるのである。最初の「ホーホケキョ」の聞きなしは、武将・大名・歌人として知られる細川幽斎が室町時代末期に考えたものである。法事の最中に鶯の声が聞こえてきたので、幽斎が「特別な初音ですね」と言ったところ、「昨日も聞いたよ」という師匠(三条西実枝(さねき))の禅問答のような返事があり、幽斎は当意即妙に狂歌を詠む。その狂歌の中に「ホフ法華経」という句が見られるのである。それゆえ、「ホフ」に対して「法」をあてることには難点がある。むしろ師匠の意見を肯定するためか感心するために使われた言葉としての「ほう」であろうと思われる。
 余談であるが、この二人の問答に出てくる初音は難しい。定義はさておいて、日興上人という高僧は、

   まだ聞かぬ人のためにはほととぎす いくたび聞くも初音なりけり

と言って、同じ説教を繰り返したそうである。他の人は幾たび聞こうとも、まだ聞かぬ人にとっては初音だと言っており、一理ある。ところで、気象庁が鶯の初音前線を記しているのはご存知であろうか。そこでの定義はこれとは異なる。特定の観測点において特定の人が最初に聞いた時点の鳴き声を初音としているのである。幽斎と実枝の初音の感覚もこれに近い。巷間いわれる初音の感覚もこちらであろう。

 2番目の聞きなしとしては、前述の『犬子集』に、読経の朝勤めをする僧を鶯に喩えた次の俳諧が記されている。
  
   鶯のほう法花経(ほけきょう)や朝づとめ          玄利 

 法華宗の僧を鶯と喩えることもあるので、鶯=僧と考えてもよいが味がない。やはり、僧を隠喩で呼ぶ方が徘徊の味が出てくるように思われる。
 それにしても、僧が朝の読経をすることが、俳諧に取り上げる題材になるほど、江戸時代初期には珍しい光景であったのであろう。蓮如の「法ほきゝよとなくなり」は、そのことを指摘したのであろうと思われる。また中世の僧侶を考えてみれば思い当たるであろう。
 この俳諧の「ほう法華経」の「ほう」は素直に「法」を当てることができ、その読み下しは「法華経の法」である。鶯はやはり法華経を唱えていると考えても不思議ではないのであろう。

 もう一つの解釈がある。「法」は、「のる(宣る・告る)に通じ、本来、神や天皇が神意・聖意を表明する意。また、みだりに口にしてはならないことをはっきりと表明する意(『広辞苑第六版』)、といわれ、告げるという意味をもつ。それ故に、「法法華経」を「法華経を告げる」あるいは「法華経を唱える」と読み下すこともできる。江戸時代の『梅花鶯囀記』(備前大安寺Webサイト)には、

  • 只今梅の花を見れば多くの鶯飛び来たり囀り候。
  • 諸鳥のさえずりは正体もなく候に、鶯ばかりこそありありと法華経の三字をさえずり候事、いかようゆえ有る鳥やらん。彼の声を聞いて法華経の事を尋ね奉らんと心の起こり候も彼の鶯の声より起こり候えば、仏菩薩の我等が心を起こさんために変化なされ候かとありがたくあやしまれ候。

と記された一節がある。これは、法華経を告げるという傾向が強い。

 以上の経緯から、いったんホーホケキョの聞きなしが出来上がると、明るく澄んだ響きである故に定着し、聞きなされるようになったものと思われる。それゆえ、仏教や法華経の経典、すなわち釈迦が存在しないと鶯のホーホケキョの鳴き声は存在しえないということになるのである。

 一方、このようなホーホケキョへの流れを確立したのは、室町時代から江戸時代にかけての歌人・俳人たちである。藤原定家の子孫である歌人三条西実隆(さねたか)・公条(きんえだ)・実枝(さねき)の三条西家三代、その一人、実枝から古今伝授という口伝を授けられた細川幽斎、幽斎の教えを受けた松永貞徳およびその門人の貞門派の人々の流れが浮かび上がる。(芭蕉も初期には貞門派に属していた。そのためか、蕉門派でも鶯の句はよく詠まれている) このようにホーホケキョの鳴き声が定着するまでには、長い時間と多くの人々が関わってもいたのである。 

 鶯の鳴き声の聞きなしとして、「うーぐひす」があることは知られている。ところが、ウグイスという鳥の名前はその鳴き声から名付けられたということは定説になっている。上記の「ホーホケキョ」の成立のストーリーからすると、本当にそうなのであろうかという疑問がわいてくる。『禅林世語集』の句はそのことを暗示しているようにも思われる。

(新井 記)


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