よこすか産業まつり2017への出展参加報告

よこすか産業まつり2017への出展参加報告

横須賀の産業をまるごと紹介するよこすか産業まつり!

よこすか産業まつり2017のアーチ

よこすか産業まつり2017のアーチ

 恒例の「よこすか産業まつり 2017」は、11月11日(土)、12日(日)の2日間、三笠公園で開催されました。
 初日は、朝方雨で心配されたが、その後快晴となり、また2日目は、午前は冷たい風に頬をなでられ人出も今一つであったが、午後は暖かさが戻るにつれて人も増えてきました。

 当会は、今年は戦艦三笠の前の2つのブースを使い、活動紹介の看板とビラの配布でPRに努め、法人会員ちろりやさんは珈琲とケーキの販売、初参加の法人会員香取屋さんは酒とつまみの販売、同じく初参加の法人会員小山防災さんは消火器の展示と子供たちへの消火器の訓練サービスを行いました。個人会員は2日間で延べ18人が参加し、ほかに法人会員のハイ測器の本田社長ご夫妻が参加されました。

本田社長ご夫妻

本田社長ご夫妻


 香取屋さんには、1日目の午後に思わぬ来客がありました。小栗上野介の菩提寺である高崎市倉渕町の東善寺の住職村上泰賢氏です。氏は、ヴェルニー公園で午後2時から開催される小栗・ヴェルニー祭に出席するために当市にお出でになっていたもので、その合間を縫っての産業まつり見学であったようです。
香取屋さん

香取屋さん

 販売中の銘酒「榛名山」を目敏く見つけ、香取屋のご主人と言葉を交わし、販売に対して礼を述べていたようです。実は、この「榛名山」は、倉渕町で江戸時代から続く老舗の牧野酒造(㈱)で仕込み・販売されているものだったのです。しかも、倉渕町は榛名山麓に位置する町なのです。
 さらに、小栗上野介が慶応4年3月から60日間ほど東善寺に仮住いしていたとき、衣通姫(きぬどうしひめ、そどうしひめ)ともいわれるほどの美人の妻の於道(おみち、道子という名前もあるが、上野介の手になる『小栗日記』に従う)は身重で、腹帯を締めるのですが、それが牧野酒造の離れであったという伝承が残されているのです。
 因みに、於道は、上野介亡き後に越後経由で会津に落ち延び、その地で無事出産しています。この逃避行は、難渋を極めたようです。於道は、草刈り籠の中に身を隠し頭上を草で覆うという周到さで、上野介を慕う権田村(現倉渕町権田)の青年十数人ほどに交互に背負われて人目を避けながら、山道を800メートルも登り、於道が飲んだという伝承のある小栗清水や野反湖わきを通り、日本の秘境100選に入る秋山郷を抜ける逃避行だったのです。新政府軍の監視を如何にして潜り抜けるかの逃避行だったといわれております。
 この逃避行の行路を突き止め、踏破した人が私の郷里出身の小板橋良平氏(『勝海舟のライバル小栗上野介一族の悲劇 : 小栗騒動及び小栗夫人等脱出潜行、会津への道、踏査実録』)だったのです。この一行は、行く先々で伝手(つて)を頼り、抜け道を紹介してもらうという厚遇を受けながら歩まれ、その謝礼として上野介が米国から持ち帰った珍しいガラス細工の物品などを贈っていたということが明らかにされています。人の心の暖かさがあらゆる場面において感じられます。それとともに、6ヶ月の身重の体で、なおかつ草刈り籠の中でこの遠距離の大行路を耐え、無事出産し、小栗家の承継を果たした於道という人の気力、気概には頭の下がる思いがします。
 なお、この行路の一部は佐久間象山が鉱物探索に使った山道でもあったようです。
お客のにわか呼込み係?

お客のにわか呼込み係?


 そういう縁を知り尽くしている村上住職であるからこそ、香取屋さんに顔を出したのであろうと思われます。
ワンカップ仲間

ワンカップ仲間


 2日目は、奥様とお嬢さんがお客さん対応をしていたので、お酒の売り上げは良かったようです。阿部さんはお客様2人とうちとけてワンカップが進んでいたようです。私が会場に到着した昼前にはけっこうご機嫌で、明るい、楽しいお酒でした。
消火器の展示

消火器の展示


ドリップコーヒー作り

ドリップコーヒー作り


 小山防災さんは、水を入れた消火器を子供たちに使わせて消火訓練のサービスをしていました。

 ちろりやさんは、2日目の方が売れ行きはよかったようで、コーヒー販売に余念がありませんでした。

 上地市長は、1日目の夕方あいさつ回りをされたようです。

 それから、世界遺産の「富岡製糸工場」のある富岡市の売店で思わぬものを見つけ購入してしまいました。繭の形をした和菓子で、餡は桑の実ものと葉ものがありました。桑の実や葉で育ち、やがて繭になるという暗示かと思われます。購入する気を起こしたのは、桑の木に囲まれたような世界で育ち、桑の実を好物としていたゆえのノスタルジーであったように思われます。
 それと、もう一つ。倉渕町の売店を覗いていたら、かってのお嬢様に声を掛けられ話を弾ませていたところ、従弟の奥さんの家の隣の人だということがわかり、やむを得ず生シイタケを購入することにしました。すると、里芋一袋をそっと上乗せしてくれました。
 ということで、今年の産業まつりは近年にない思い出深いまつりでした。

 2日目の祭り終了後に、香取屋さんにお邪魔して慰労会をにぎやかに行いました。阿部さんとの縁でワンカップのメンバーの一人と大倉物産の宮崎会長が駆け付けました。
 この祭りの準備を中心的に進めていた佐々木さんは、怪我で欠席されました。
 皆様、お疲れ様でした。

広報部会 平野 和夫,新井 全勝


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